周易本義爻辞
陽剛中正にして尊位に居り、訟を聴きてその平を得る者なり。占う者これに遇えば、訟えて理あれば必ず伸ぶるを得ん。
第5爻
九五:訟、元吉なり。
訟卦の九五は尊位にあって中正を得ており、公平無私な裁定によって争いを収め、大いなる吉を得る姿を示します。客観的で偏りのない姿勢を貫くことで、対立を解消し深い信望を築く好機となります。
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易経・四柱推命のリーディング依頼(eastalmanac.com より)。 Page: Hexagram 6 讼 — 第5爻. 二層構造で解釈してください。1)理法の根拠:卦爻の変爻や干支五行の力点と注意すべき盲点。2)実践的アドバイス:問いに対する率直な結論、動詞から始まる2〜3の具体的な行動指針と内省の要点。決定論を排し、自省と意思決定の参考にしてください。出典・詳解: https://eastalmanac.com/ja/yijing/6/5
九五は剛健かつ中正を備え、紛争のただ中で公正な審判を下す指導者の立ち位置を象徴しています。伝統的な解釈では「中正なるを以て大吉なり」とされ、私心を捨てた道義と客観的な判断力こそが双方の納得を生むと説かれます。公明正大な基準に立脚して対応すれば、複雑なもつれも秩序へと導かれます。
組織内の対立や利害の衝突において、公平な調停者やルールを遵守する主導的立場として力量を発揮しやすい時期です。伝統的な易学では、贔屓や偏見を排して明確な規定に基づき対処することが、内紛を根本から収める鍵とされます。客観的な基準で筋を通す姿勢が、周囲からの揺るぎない信頼を確立します。
関係性における意見の食い違いや責任の分担について、感情論を排した誠実で率直な対話が求められます。伝統的な視点では、中正な態度で互いの言い分を公正に尊重し合うことが、不要な摩擦を消し去るとされます。偏りなく互いの立場を認め合うことで、絆はより成熟した信頼へと深まります。
契約や共同事業に関する取り決めは、公的ルールや客観的な書類に則って透明性を保つことが最善です。古典的注釈では、公正な手続きと明確な合意形成を踏むことで紛争を防ぎ、健全な基盤が守られると捉えられます。明文化された規則と誠実な対応を徹底することが、無用なトラブルを防ぐ盾となります。
「訟、元吉」とは、中正なるを以てなり。
周易本義爻辞
陽剛中正にして尊位に居り、訟を聴きてその平を得る者なり。占う者これに遇えば、訟えて理あれば必ず伸ぶるを得ん。
周易本義小象伝
中なれば聴くこと偏らず、正なれば断ずること理に合す。
伊川易伝爻辞
中正を以て尊位に居り、訟を治むる者なり。訟を治めてその中正を得るがゆえに「元吉」なるなり。元吉は大吉にして善を尽くすなり。吉にして大なるも善を尽くさざる者あり。
伊川易伝小象伝
中正の道、何ぞ施して元吉ならざらんや。
周易注爻辞
尊位を得て処り、訟の主となり、その中正を用いて以て枉直を断ず。中なれば過たず、正なれば邪ならず、剛にして溺るる所なく、公にして偏る所なし。ゆえに訟えて「元吉」なり。
周易正義爻辞
「九五、訟えて元吉なり」。
正義に曰く:尊位を得て処り、中にして且つ正、以て獄訟を断ず。ゆえに「元吉」を得るなり。
注の「尊位を得て処り」より「ゆえに訟えて元吉なり」に至るまで。
正義に曰く:「尊位を得て処りて訟の主となる」とは、九五の位に居り、争訟の時に当たり、これ獄訟を断ずるを主とする者なり。然るにこの卦の内に獄訟を断ずるの人、凡そ二主あり。案ずるに上の注に「善く聴くの主、其れ二に在るか」と云えり。これ二が主たるなり。この注にまた「訟の主となり、その中正を用いて以て枉直を断ず」と云えり。これ五もまた主たるなり。一卦に両主あるは、凡そ諸卦の内に、かくのごとき者多し。五はその卦の尊位の主たり、余爻はその卦の義を為すの主たり。猶お復卦の初九が復卦の主にして、「復」の義が初九に在るがごとし。六五もまた復の尊位に居り、復卦の尊位の主となる。かくのごとき例は一卦のみにあらざるなり。然る所以の者は、五は尊位に居り、猶お天子が万機を総督し、万物と主たるがごとし。ゆえに諸卦皆五が尊位に居る。諸爻は偏に一事を主とし、猶お六卿の春官が礼を主とし、秋官が刑を主とするの類、偏に一事を主とすれば、その余の諸爻は各々一事を主とするなり。即ち六卿が天子に総帰するがごとく、諸卦の爻は皆九五を以て尊位となすなり。もし卦が五位に由り、五がまた尊に居らば、正に一主となる。水地比の九五の類のこれなり。今この訟卦は二も既に主となり、五もまた主となり、皆獄を断ずるの徳あり。その五と二爻とは、その義同じきなり。ゆえに倶に以て主となすなり。案ずるに、上の『彖』辞に「剛来たりて中を得」とあり、今九五の『象』辞に「訟元吉なるは、中正を以てなり」と云えば、『彖』辞の「剛来たりて中を得」は九五に拠るにあらざるを知る。輔嗣(王弼)が必ず以て九二となす者は、凡そ上下の二象において下象に在る者は「来る」と称す。ゆえに『賁卦』に「柔来たりて剛を文る」と云うは、離が下にして艮が上なるに「柔来たる」と称す。今ここに「剛来たりて中を得」と云うゆえ、九二と知るなり。且つ凡そ「来る」と云う者は、皆異類に拠りて来るなり。九二は二陰の中に在るがゆえに「来る」と称し、九五は外卦に在り、また三爻倶に陽なれば「来る」と称するを得ず。もし爻辞の中においては、また下卦より上卦に向かうをも「来る」と称することあり。ゆえに需の上六に「招かざるの客三人来たる」とは、下卦の三陽が来るを謂うなり。然れども需の上六は陰爻にして、陽が来たりてこれに詣るは、またこれ非類に往きて「来る」と称するなり。「以て枉直を断ず」とは、枉は曲なり。凡そ二人来たりて訟うれば、必ず一曲一直あり。この九五は訟を聴きて能く曲直を断定する者なり、ゆえに「以て枉直を断ず」と云うなり。
周易正義小象伝
正義に曰く:「中正を以てなり」とは、「元吉」の義を釈す。訟えて大吉を得る所以の者は、九五が中に処りて正位を得、中なれば過差あらず、正なれば邪曲あらず、中正を徳となすがゆえに「元吉」なるなり。
一撮金爻辞
九五・五爻(上上):軒先には鵲(かささぎ)がしきりに鳴いて舞い飛び、憂慮は消え去りて喜びはおのずから至る。一方が進みて一方が退き、結末にはすべて良き因縁あらん。