East Almanac
日本語

6. 天水讼 (讼)

卦辞

訟:孚ありて窒がる。惕れて中すれば吉なれど、終りには凶なり。大人を見るに利ろし、大川を渉るに利ろしからず。

現代解釈

訟卦は、利害の対立や価値観の不一致によって生じる争いの構図と、その調停の道を示しています。伝統的な解釈では、争いを最後まで突き詰めることは凶を招き、中途で和解を図り中正な第三者に委ねることが吉とされます。

AIにこのページを聞いてみる

リンクはプロンプトを事前入力するだけで送信しません — 主導権はあなたに。リンクが効かない場合は下のプロンプトをコピーしてください。

プロンプトプレビュー
易経・四柱推命のリーディング依頼(eastalmanac.com より)。
Page: Hexagram 6 讼 — 卦辞.
二層構造で解釈してください。1)理法の根拠:卦爻の変爻や干支五行の力点と注意すべき盲点。2)実践的アドバイス:問いに対する率直な結論、動詞から始まる2〜3の具体的な行動指針と内省の要点。決定論を排し、自省と意思決定の参考にしてください。出典・詳解:
https://eastalmanac.com/ja/yijing/6/0

八字命式

八字の五行観点からは、天に昇る乾金と下へ沈む坎水が背馳し、木火の仲介を欠くことで摩擦が生じやすい配置になぞらえられます。命式内に比肩争財や過度な七殺が重なると、自己の正当性を主張するあまり契約トラブルや口論に発展しやすくなります。己の鋭さを抑えて柔軟な対話を心がけることが、対人関係の破綻を防ぐ要となります。

西洋占星術

西洋占星術の解釈では、火星、土星、水星のハードアスペクトのように、頑なな主張と厳格な規則が衝突して対話が膠着する状態を示唆します。自説に客観的な理があったとしても、強硬に押し通そうとすれば外的な抵抗を強めて消耗戦に陥る傾向があります。頑迷な対立を避けて早めに妥協点を探る姿勢が、無用なエネルギーの浪費を防ぎます。

易の占い

上卦の剛健な乾と下卦の険難な坎が背き合う「天と水と違ひ行く」象は、双方が歩み寄れず対立する構図を明示しています。卦辞の「中吉、終凶」は、たとえ誠意があっても争いを徹底すれば破滅に向かうことを戒め、公明正大な指導者への相談を勧めています。勝敗に固執せず公平な仲介を通じて早期解決を図ることが、最も安全な道です。

仕事・キャリア

業務上の権限争いや契約書の解釈相違、上司との見解の不一致などから、組織内での対立が表面化しやすい局面です。大象伝の「作事謀始」が教えるように、プロジェクト着手時に責任範囲や書面条件を綿密に定めておく事前の予防策が欠かせません。争いが生じた際は直接対決を避け、中立的な第三者や信頼できる上長に調停を委ねることが賢明です。

金運

財務面では、契約違反の発生や金銭トラブル、係争による資金凍結のリスクが高まりやすい状況が示されています。卦辞が警告する「大川を渡るに利あらず」の通り、一か八かの投機や不透明な資金運用に踏み切ることは深淵に落ちる危険を伴います。強情に利権を主張して長期戦に持ち込むより、適度な条件で早期の和解を図る方が資産を守れます。

恋愛・対人

パートナーシップにおいては、正論のぶつかり合いや家事・金銭の分担を巡る勝ち負けの論争が関係を冷え込ませがちです。伝統的な易学では「訟は成すべからず」とされ、議論で相手を論破しても愛情の基盤を損ねてしまえば本末転倒であると説かれます。どちらが正しいかを競う姿勢を手放し、一歩譲って相手の感情に耳を傾けることが絆の修復につながります。

健康

継続的な緊張や鬱屈した怒りは、肝気鬱結や神経の高ぶり、睡眠の乱れとして心身に現れやすくなります。伝統的な健康観では、争いの気は心脳や泌尿器系を傷めやすい要因と捉えられ、怒りを鎮めて心を穏やかに保つ養生が重視されます。張り詰めた対立の場から距離を置き、情緒を緩めて静かに呼吸を整える時間を確保することが、気血を調和させ活力の回復を促します。

自己成長

自己の内省においては、「自らが正しく他者が誤っている」という二元論的な執着を手放す重要な転換期となります。訟卦の本質は、対立の萌芽を初期段階で見極め、自らのプライドを制御して建設的な調和へ導く精神の器を養う点にあります。勝ち負けへのこだわりを脱して冷静な中立性を保つことが、人間的な成熟を一段深めます。

相性

相性の観点では、双方ともに確固たる自我と譲れない正義感を持つため、無条件の協調を期待すると衝突が避けられません。共通のルールや明確な境界線、あるいは客観的な規約が存在しないまま連携を進めると、互いに不信感を募らせる結果となります。事前に役割分担を明確に取り決め、感情論を挟まない仕組みを整えておくことが良好な関係を保つ鍵です。

運の流れ

運気のサイクルとしては、誤解や手続き上の不備、予期せぬ対人トラブルが起きやすい警戒期に位置しています。この時期に積極的な攻勢に出たり新規の複雑な契約を結んだりすることは、紛争の種を自ら蒔くことになりかねません。現状の点検と防衛に徹し、慎重で控えめな行動規範を保つことで無難にこの局面を乗り切ることができます。

年運

年間の流れを通じて、公的な申請、契約更新、諸手続きの確認など、文面や法規に関わる事務負担が増加しやすい傾向があります。些細な見解の不一致から大きな争いを引き起こさぬよう、感情的な対応を排して規約を愚直に遵守することが肝要です。疑問が生じた際は早期に専門家の助言を仰ぐことで、無用なトラブルを防ぎ平穏を保てます。

姓名判断

名前の構成において金気と水気が過度に強すぎると、切れ味が鋭くなりすぎて批判的・好戦的な傾向を強める懸念が生じます。伝統的な命名法では、温和、調和、包容力を象徴する柔らかな文字や要素を取り入れ、剛気の尖りを中和することが推奨されます。穏やかで中正な意味合いを持つ文字を取り入れることで、対人関係の摩擦を和らげる働きが期待できます。

吉日選択

択日においては、訟卦の気を受ける日は契約締結、共同事業の立ち上げ、婚姻など、和合を要する慶事には不向きとされます。この日に開始した取り決めは、後日において解釈の食い違いや責任の押し付け合いに発展しやすい性質を帯びています。重要な合意や儀式は協調の運気が巡る吉日を選び、この日は現状の見直しや合意案の再確認に充てるのが無難です。

風水

風水環境においては、向かい合う扉同士の干渉や尖った建物の角が向く形殺など、衝突を連想させる配置の有無に留意する必要があります。住居内で北西の金気が強まり北方の水気と衝突している場合、住人の苛立ちや対外的な揉め事を誘発しやすいと解釈されます。丸みを帯びた観葉植物やアースカラーの調度を用いて空間の気を和らげることが、家庭内の平穏を守る助けとなります。

参考資料

原文

彖伝

訟は、上が剛にして下が険なり。険にして健なるが訟なり。「訟、孚ありて窒がる。惕れて中すれば吉」とは、剛来たりて得中するなり。「終りには凶」とは、訟は成すべからざるなり。「大人を見るに利ろし」とは、中正を尚ぶなり。「大川を渉るに利ろしからず」とは、淵に入るなり。

大象伝

天と水と違い行くは訟なり。君子もって事を作すに始めを謀る。

古典注釈

周易本義卦辞

窒は張栗の反。

訟は争い弁ずることである。上は乾で下は坎である。乾は剛で坎は険である。上は剛をもってその下を制し、下は険をもってその上を伺う。また内は険にして外は健となり、己は険にして彼が健となる。みな訟の道である。九二は中実にして上に応与なく、また憂いを加うるとなり、かつ卦変において遯より来たり、剛が来たりて二に居り下卦の中に当たる。孚(まこと)ありて窒(ふさ)がるを見、よく懼れて中を得る象がある。上九は過剛にして訟の極みに居り、終にはその訟を極むる象がある。九五は剛健中正をもって尊位に居り、大人の象がある。剛をもって険に乗り、実をもって陥を踏むは、大川を渉るに利ろしからざる象がある。ゆえに占う者に戒めて、必ず争弁の事があり、その処するところにしたがって吉凶となすのである。

周易本義彖伝

卦徳をもって卦名と義を釈す。卦変・卦体・卦象をもって卦辞を釈す。

周易本義大象伝

天は上り水は下り、その行き相違う。事を作すに始めを謀れば、訟の端は絶える。

伊川易伝卦辞

訟の『序卦伝』に「飲食には必ず訟あり、ゆえにこれを受くるに訟をもってす」という。人の須(もと)むるところは飲食であり、すでに需むるところがあれば争訟の由って起きるところとなる。訟が需に次ぐゆえんである。卦としては乾が上で坎が下である。二象をもってこれを言えば、天の陽気は上に昇り、水の性は下に就き、その行き相違うゆえに訟を成すのである。二体をもって言えば、上は剛で下は険であり、剛と険が相接すれば訟なきを得ようか。また人は内に険阻にして外に剛強なるゆえに訟となるのである。

訟の道には必ず孚実があるべきであり、中にその実がなければこれ誣妄であり、凶の道である。卦の中実は孚あるの象である。訟とは人と争弁して人において決することを待つものであり、孚ありといえどもなお窒塞して通ぜざるべし。窒がらねばすでに明らかにして訟なきのみである。事いまだ弁ぜざれば吉凶は必すべからず。ゆえに畏惕ありて中にして吉なり、中を得れば吉となる。終には凶とは、その事を終極せしむれば凶となるのである。

訟とはその曲直を弁ぜんことを求めるものである。ゆえに大人を見るに利ろし。大人ならばその剛明中正をもって訟うるところを決することができる。訟は和平の事にあらず、まさに安地を択びて処すべきであり、危険に陥るべからず。ゆえに大川を渉るに利ろしからずとする。

伊川易伝彖伝

訟の卦たるや、上は剛で下は険であり、険にしてまた健である。また険健相接し、内険外健なるは、みな訟をなすゆえんである。もし健にして険ならねば訟を生ぜず、険にして健ならねば訟うることあたわず。険にしてまた健なるがゆえに訟となるのである。

訟の道はもとよりかくのごとし。また卦才に拠りて言えば、九二は剛をもって外より来たりて訟を成せば、二はすなわち訟の主である。剛をもって中に処するは中実の象であり、ゆえに孚ありとなす。訟の時に処すれば孚信ありといえども、必ずや艱阻窒塞して惕懼あり。窒がらねば訟を成さざるなり。また険陥の中に居るもまた窒塞惕懼の義となる。二は陽剛をもって外より来たりて中を得、剛をもって来たり訟うるも過ぎざるの義となす。これをもって吉なのである。卦には成卦の由をさらに取りて義となすものがあり、これがそれである。卦義が成卦の由を取らざれば、さらに変ずるところの爻を言わない。卦辞に拠れば二はすなわち善であるが、爻中にはその善が見えない。けだし卦辞はその孚ありて中を得るを取りて言えば善となり、爻辞は下より上を訟うるをもって義となし、取るところが異なるのである。

訟は善事にあらず、已むを得ざるなり。どうしてその事を終極せしめ得ようか。その事に意を極めれば凶となる。ゆえに成すべからずという。成すとはその事を窮め尽くすをいう。訟とはその是非を弁ぜんことを求めるものであり、弁ずること当を得ればすなわち中正である。ゆえに大人を見るに利ろしとするは、尚ぶところが中正だからである。聴く者がその人でなければ、あるいはその中正を得られない。中正の大人とは九五がこれである。人と訟うれば必ずその身を安平の地に処すべし。もし危険を踏めばその身を陥れることになり、すなわち深淵に入るのである。卦中に中正険陥の象がある。

伊川易伝大象伝

天は上り水は下り、相違いて行く。二体違戾するは訟の由って来たるゆえんである。もし上下相順えば、訟は何に由りて興ろうか。君子は象を観て人情に争訟の道あるを知る。ゆえにおよそ事を作すには必ずその始めを謀る。訟の端緒を事の始めに絶てば、訟は由って生ずることなし。始めを謀るの義は広く、交わりを結ぶを慎み、契券を明らかにするの類がこれである。

周易注卦辞

窒とは窒塞をいう。みな惕れてしかるのちに中吉を獲ることができる。

周易注彖伝

およそ和せずして訟うれば、施すとして可なるものなく、難を渉ること特にはなはだし。ただ信ありて塞がれ懼るる者のみ、もって吉を得ることができる。なお重ねて終極すべからず、中にしてすなわち吉なるなり。その源を閉じて訟を至らしめざるようにしなければ、毎(つね)に曲がらずといえども訟が終竟に至ればこれもまた凶である。ゆえに信ありて塞がれ懼るるといえども、もって終極となすべからず。ゆえに「訟に孚あり、窒がりて惕れて中すれば吉にして、終には凶なり」という。善く聴く者なきときは、その実ありといえども何によって明らかなりと得ようか。信あり塞がれ懼るる者をしてその「中吉」を得せしめるには、必ず善く聴くの主あらん。それ二に在るか。剛をもって来たりてかの群小を正し、断じて中を失わず、この任に応ずべき者である。

周易注大象伝

「訟を聴くは吾なお人のごときなり。必ずや訟なからしめんか」と。訟なきは始めを謀るにあり、始めを謀るは制度を作すにあり。契約の明らかならざるは、訟の生ずるゆえんである。物にその分あり、職相濫れざれば、争い何に由りて興らん。訟の起因は契約の過失である。ゆえに徳ある者は契を司りて人を責めない。

周易正義卦辞

正義に曰く、窒は塞である。惕は懼れである。およそ訟とは、物に不和があり、情相乖争してもってその訟を致す。およそ訟の体は妄りに興すべからず、必ず信実ありて物に止塞され、能く惕懼して中道にして止まれば、すなわち吉を得るのである。

正義に曰く、「終には凶なり」とは、訟は長ずべからず、もし訟事を終竟せしめれば、窒惕すといえどもまた凶あるなり。「大人を見るに利ろし」とは、物すでに訟あれば大人のこれを決するを須つ、ゆえに「大人を見るに利ろし」という。「大川を渉るに利ろしからず」とは、訟は長ずべからざるをもって、もし訟をもって往きて危難を渉れば必ず禍患あり、ゆえに「大川を渉るに利ろしからず」という。

周易正義彖伝

「彖に曰く訟は上剛にして下険」から「淵に入るなり」まで。正義に曰く、これは繇辞の義を釈したものである。「訟は上剛にして下険、険にして健なるは訟なり」とは、上剛はすなわち乾であり、下険はすなわち坎である。人の意に険悪を懐き、性また剛健なるがごとし、それゆえに訟となるのである。この二句は卦の象に因りて訟あるゆえんを顕す。考えるに、上卦の需には「須(まつ)なり」として卦の名を釈した。この訟卦において「訟」の名を釈さないのは、訟の義は知るべしゆえ釈さないのである。諸卦その名の難しきものはこれを釈し、その名の易しきものはこれを釈さず、他もみなこれに倣う。「訟に孚あり、窒がりて惕れて中すれば吉とは、剛来たりて中を得るなり」とは、まず訟の繇辞を重ねて出し、「剛来たりて中を得」をもって訟がその「孚あり、窒がりて惕れて中すれば吉」を得るゆえんを釈したものである。九二の剛が来たりて下体に向かい下卦の中に処し、訟の主となりて獄訟を聴断するをいう。ゆえに訟うる者はその「孚あり、窒がりて惕れて中すれば吉」を得るのである。「終には凶とは訟成すべからざるなり」とは、「終には凶」の義を釈し、争訟の事は成さしむべからず、ゆえに「終には凶」というのである。「大人を見るに利ろしとは中正を尚ぶなり」とは、「大人を見るに利ろし」の義を釈したものである。訟の時においてこの大人を見るに利ろしとするゆえんは、時にまさに闘争し、中庸に居り正を得る主を貴尚してもってこれを聴断するからである。「大川を渉るに利ろしからずとは淵に入るなり」とは、「大川を渉るに利ろしからず」の義を釈したものである。もし訟事をもって往きて川を渉れば、必ず深淵に墜ちて難に陥るのである。

注の「およそ和せずして訟うれば」から「この任に応ずべき者なり」まで。

正義に曰く、「施すとして可なるものなし」とは、もし性として不和を好み、また人と闘訟すれば、施設する処として可なるものなきをいう。往くところの処みな不可なるをいう。「難を渉ること特にはなはだし」とは、訟を好む人は常に施為を習い、己れすら不可なるに、もしさらに訟をもって難を渉れば、その不可なること特にはなはだし、ゆえに「難を渉ること特にはなはだし」という。「中にしてすなわち吉なり」とは、この訟事は中途にして止まりて吉を得ることをいう。前の注に「もって中吉を獲るべし」とあるは、中にして止まる吉を獲るをいう。「その源を閉じて訟を至らしめざるようにせず」とは、もし謙虚退譲して物と競わなければ、これすなわち訟の根源を閉塞して訟を至らしめざるなり。いまかくのごとく能わざるは、訟源を閉塞せずして訟をして至らしむるなり。「毎に枉げずして訟終竟に至る」とは、訴訟ごとにその道理を陳べて枉曲なきも、訟が終竟に至ればこれもまた凶なりということである。

周易正義大象伝

「天と水と違いて行くは訟なり」から「事を作すに始めを謀る」まで。

正義に曰く、天道は西に転じ、水流は東に注ぐ、これ天と水と相違いて行くなり。相違いて行くは、人の彼此両ながら相乖戾するを象徴し、ゆえに訟を致すのである。「水と天と違いて行く」と言わないのは、およそ訟の起因は必ず剛健が先に在りて訟の始めとなるゆえに、「天と水と違いて行く」というのである。「君子もって事を作すに始めを謀る」とは、物にすでに訟あり、君子はまさにこの訟源を防ぐべきをいう。およそその事を興作せんと欲すれば、まず須らくその始めを謀慮すべし。もし初めより分職分明にして相干渉しなければ、終に訟うるところなきなり。

注の「訟を聴くは」から「人に責めず」まで。

正義に曰く、「訟の起因は契約の過失なり」とは、およそ闘訟の起因はただ初めの契要の過失に由り、契要を作すこと分明ならざるをいう。「有徳は契を司る」とは、上の有徳なる者が契要を司主し、能く分明にして下を断ずれば、また下の人の争訟あるを責むるを須いざるをいう。「有徳は契を司る」の文は、『老子』経に出づるものである。

出典