周易本義爻辞
逋は補呉の反。眚は生領の反。
九二は陽剛にして険の主であり、もと訟わんと欲する者である。然れども剛をもって柔に居り、下の中を得て、上は尊位に居る九五の陽剛に応じ、勢い敵すべからず。ゆえにその象と占いはかくのごときである。邑人三百戸とは邑の小さき者であり、自ら卑約に処してもって災患を免るるをいう。占う者かくのごとくなればすなわち眚(わざわい)なきを得る。
第2爻
九二:訟に克たず、帰りて逋る。その邑人三百戸、眚なし。
圧倒的な力関係の差を前にして、無理に争わず速やかに退避して自らを守るべき時を告げています。勝ち目のない対立から身を引く判断こそが、身近な人々を含めた災禍を防ぐ鍵となります。
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易経・四柱推命のリーディング依頼(eastalmanac.com より)。 Page: Hexagram 6 讼 — 第2爻. 二層構造で解釈してください。1)理法の根拠:卦爻の変爻や干支五行の力点と注意すべき盲点。2)実践的アドバイス:問いに対する率直な結論、動詞から始まる2〜3の具体的な行動指針と内省の要点。決定論を排し、自省と意思決定の参考にしてください。出典・詳解: https://eastalmanac.com/ja/yijing/6/2
九二は下卦・坎の険難の中にあり、上卦・乾の強大な剛健に対峙する極めて不利な立場にあります。爻辞の「訟に克たず、帰りて逋ぐ」および小象伝の警告は、分不相応な争いを挑めば自ら災いを招くため、潔く退散して本拠地に逃れるべきであることを説いています。伝統的な易学では、勝てぬ勝負を見極めて迅速に引き下がることこそが、身内や共同体を守る最善の防衛策とされます。
組織の有力層や強大な権力を持つ相手との方針対立において、正面衝突を仕掛けるのは危険が大きすぎます。伝統的な教えが示すように、不利な力関係を冷静に自覚し、主張を引っ込めて別の役割を探るなど柔軟に距離を置くことが肝要です。勝ち目のない組織内の権力闘争からは速やかに手を引き、自らの足場と実利を守る選択が賢明です。
関係性において主導権を握る相手に対して意地で張り合おうとすると、かえって摩擦が激化する恐れがあります。古典的な解釈では、相手の頑なな態度を無理に変えようとせず、一時的に心理的な距離を保って冷静さを取り戻すことが勧められます。無理に勝ち負けを争わず一歩退いて自分の心を守ることが、関係の破綻を防ぐ道です。
強大な相手との金銭的係争において、意地になって争いを続けると消耗戦に陥るリスクがあります。伝統的な知恵では、早期に損切りを受け入れて撤退し、手元の基本資産を確実に保全することこそが無難であると説かれます。回収の見込みが薄い不毛な争いから潔く手を引き、残された資金の防衛に専念することが賢明です。
「訟に克たず、帰りて逋る」とは、竄れ避くなり。下より上を訟うれば、患いの至るを掇うなり。
周易本義爻辞
逋は補呉の反。眚は生領の反。
九二は陽剛にして険の主であり、もと訟わんと欲する者である。然れども剛をもって柔に居り、下の中を得て、上は尊位に居る九五の陽剛に応じ、勢い敵すべからず。ゆえにその象と占いはかくのごときである。邑人三百戸とは邑の小さき者であり、自ら卑約に処してもって災患を免るるをいう。占う者かくのごとくなればすなわち眚(わざわい)なきを得る。
周易本義小象伝
竄は七乱の反。掇は都活の反。
掇は自ら取るなり。
伊川易伝爻辞
戸、眚なし。二と五は相応の地でありながら二剛相与みせず相訟う者である。九二は外より来たり剛をもって険に処し訟の主となり、すなわち五と敵対する。五は中正をもって君位に処す、どうして敵し得ようか。これ訟いて義として勝たざるなり。もしその義の不可なるを知りて退き帰り、逃れて寡約に自処すれば、過眚なきを得るであろう。必ず逋(のが)るるとは、敵となるの地を避けることである。三百戸とは邑の至極小さきものであり、もし強大に処すればこれなお競うことになり、眚なきを得ようか。眚とは過失であり、処するところ当を得ざることである。悪と知りてなすこととは分別がある。
伊川易伝小象伝
義においてすでに敵せざるゆえに訟うることあたわず、退き逃れてその所を避けるのである。下よりその上を訟うれば義に乖き勢い屈し、禍患の至るはなお拾い掇(と)るがごとし。得やすきを言うのである。
周易注爻辞
剛をもって訟に処し、物に下ること能わず、下より上を訟うれば勝たざるが宜しい。もし懼れをもってその邑に退き隠れ竄れるならば、もって災いを免れることができる。邑が三百戸を過ぎれば竄るるものにあらず。竄れて強きに拠れば、災いは未だ免れざるなり。
周易正義爻辞
「九二」から「三百戸眚なし」まで。
正義に曰く、「訟に克たず」とは、克は勝である。剛をもって訟に処し、物に下ることあたわず、下より上を訟い、五と相敵対してその訟に勝てず、訟いて勝ちを得ざるをいう。「帰りてその邑に逋る」とは、訟いてすでに勝てず、怖懼して還り帰り、その邑に逃れ竄るることである。もしその邑が強大ならば大都が国に匹敵することになり、逃れ竄るるの道ではない。「人三百戸、眚なし」とは、もしその邑が狭少にして、ただ三百戸のみなれば可なるなり。「三百戸」とは、鄭玄の『礼記』注に「小国の下大夫の制」という。また鄭玄の『周礼・小司徒』注に云う、方十里を一成となし九百夫の地とし、溝渠・城郭・道路に三分してその一を去れば、余り六百夫。また田に不易あり、一易あり、再易あり、定めて田を受くる者三百家なりと。すなわちこの「三百戸」とは一成の地である。鄭注に曰く、不易の田は歳ごとにこれを種え、一易の田は一歳休みてすなわち種え、再易の地は二歳休みてすなわち種う、至極痩薄なるをいう。いやしくも自ら隠れ蔵まりて、あえて五と相敵しなければ、眚災なきなり。
注の「剛をもって訟に処し」から「災い未だ免れざるなり」まで。
正義に曰く、「もし懼れをもってその邑に退き竄るれば、すなわち災いを免るべし」とは、かくのごとく注釈するならば、経の「その邑」の二字は上に連なりて句となり、「人三百戸」は下に合して句となる。
周易正義小象伝
正義に曰く、「帰りて逋竄す」とは、帰りて邑に逋るを釈し、訟に勝たざるがゆえに退き帰りて逃れ竄るるなり。「患い至りて掇る」とは、掇は拾い掇るがごとし。下より上を訟うは悖逆の道であり、ゆえに禍患の来たり至るは、手ずからその物を拾い掇るがごとく、患いの必ず来たるをいう。ゆえに王粛は「手ずから物を拾い掇るがごとし」というのである。