East Almanac
日本語

43. 泽天夬 (夬)

第5爻

この爻が動けば に変じる 34. 雷天大壯 (大壮)
九五:莧陸夬夬たり、中を行けば咎なし。

現代解釈

夬の九五は尊位にあって決断を主導する立場ですが、隣接する陰への私情や躊躇を断ち切る中道の姿勢が求められます。雑草を取り除くように毅然としつつ、中正の徳を保つことで咎めを免れる段階です。

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プロンプトプレビュー
易経・四柱推命のリーディング依頼(eastalmanac.com より)。
Page: Hexagram 43 夬 — 第5爻.
二層構造で解釈してください。1)理法の根拠:卦爻の変爻や干支五行の力点と注意すべき盲点。2)実践的アドバイス:問いに対する率直な結論、動詞から始まる2〜3の具体的な行動指針と内省の要点。決定論を排し、自省と意思決定の参考にしてください。出典・詳解:
https://eastalmanac.com/ja/yijing/43/5

易の占い

九五は中正にして尊位を占め、五陽を率いて陰を排除すべき主導者ですが、最上位の陰と隣り合っているため情実に流される危うさを孕んでいます。小象伝に「中未だ光らかならざるなり」とあるように、中道を行くものの決断の潔白さが未だ完全に輝き出ているわけではありません。伝統的な解釈では、私情や曖昧な関係性を引きずらず、公明正大に不要なものを削ぎ落とす節度が説かれます。私的なしがらみに惑わされず公平な基準を守り抜くことで、指導者としての威信が揺るぎないものになります。

仕事・キャリア

組織の責任者として懸案事項や問題のある人員に対処する際、過去の恩義や個人的な関係から判断が鈍りやすい状況を示しています。易学の伝統では、断ち切るべき弊害を放置すれば全体の士気を損ねると戒め、公私の境界を厳格に引く中道の判断が重んじられます。感情的なしがらみを排し、公平な手順で組織の是正を進めることが信頼の維持につながります。私情を交えずに筋を通した判断を下すことが、結果として周囲の深い納得感を生みます。

恋愛・対人

関係性において、過去の引きずっている感情や曖昧な境界線が現在の信頼関係を曇らせている気配があります。古典の教えが説く「中行无咎」は、感情に流されず誠実かつ理性的に物事のけじめをつける姿勢の重要性を示唆しています。相手を傷つけまいとする優柔不断さはかえって誤解を長引かせるため、穏やかでありながらも明確な対話が必要です。曖昧さを残さず誠実に一線を引くことで、関係の健全な平穏を取り戻せます。

金運

保有資産の整理や非効率な取引の解消において、執着から決断を先送りにしがちな傾向に警鐘が鳴らされています。伝統的な象意では、無益な負担や古い習慣を毅然として手放すことが全体の健全性を守ると捉えられます。中庸の判断基準に基づき、惰性で続けている支出や不要な関係を冷静に見直すのが賢明です。未練を断ち切って整理を断行することが、資産基盤を健全に保つ確実な道となります。

参考資料

原文

小象伝

「中を行けば咎なし」とは、中いまだ光大ならざるなり。

古典注釈

周易本義爻辞

莧は閑と辨の反切。

莧陸は今の馬歯莧(すべりひゆ)であり、陰気を感じることの最も多いものである。九五は決の時に当たり、決の主でありながら、上六の陰に切迫して親近すること、あたかも莧陸のようである。もし決すべきを決し、しかも過度な暴挙に走らず中行に合えば、咎なきを得る。占う者はまさにこのようであるべきだと戒めているのである。

周易本義小象伝

程伝に委細が尽くされている。伝に曰く、卦辞に「夬夬」と言えば、中行において咎なきを得るのであるが、象伝が重ねてその義を尽くして「中未だ光(おおい)ならざるなり」と言うのは、そもそも人の心は正しく意(こころ)が誠であってこそ中正の道を極めて充実し光輝を発するのである。五は心に比するところがあり、義として不可であるためにこれを決する。外に行われるところは中正の義を失わず咎なきを得るとしても、中道においては未だ光大とは言えないのである。およそ人の心にひとたび私欲が生ずれば道から離れてしまう。夫子がここにおいて人々に示した訓戒の意は深遠である。

伊川易伝爻辞

五は剛陽中正にして尊位に居るが、上六に切迫して親近している。上六は説(悦)の体であり、卦において唯一の陰であって、群陽が比するところである。五は陰を決する主でありながら、かえってこれに比親すれば、その咎は甚大である。ゆえに必ずその決すべきを決すること莧陸のようであれば、その中行の徳において咎なきを得るのである。中行とは中道である。莧陸とは今いわゆる馬歯莧(すべりひゆ)がこれである。日に晒しても乾きにくく、陰気を感じることの最も多いものであるが、脆く折れやすい。五がもし莧陸のように、陰に感じつつもそれを決断することが容易であれば、中行において過咎なきを得る。しからざればその中正を失うのである。陰を多く感じる物の中で莧陸は容易に断ちやすいため、象に取ったのである。

伊川易伝小象伝

卦辞に「夬夬」と言えば、中行において咎なきを得るのであるが、象伝が重ねてその義を尽くして「中未だ光(おおい)ならざるなり」と言う。そもそも人の心は正しく意が誠であってこそ、よく中正の道を極めて充実し光輝を発することができる。五は心に比するところがあり、義として不可であるゆえにこれを決する。外に行われるところは中正の義を失わず咎なきを得ることができるとしても、中道においては未だ光大とはなし得ない。およそ人の心にひとたび私欲が生ずれば道から離れる。夫子がここにおいて人々に示した意は深遠である。

周易注爻辞

莧陸は、草の柔脆なる者である。これを決することは至って容易であるゆえに「夬夬」というのである。夬の義たるや、剛をもって柔を決し、君子をもって小人を除くことにある。しかるに五は尊位に処しながら、最も小人に比近し、身をもって自ら決する者である。至尊の身をもって至賤に敵するは、よしんば克ち勝つとも、賞賛するには足りない。中に処して行うゆえに咎を免れるに足るのみであり、未だ光大とするには足りない。

周易正義爻辞

「九五」から「咎なし」に至るまで。

正義に曰く、「莧陸は、草の柔脆なる者である。夬の義たるや、剛をもって柔を決し、君子をもって小人を除くことにある」。五は尊位に処して夬の主となり、親しく上六を決する。これを決することは至って容易であり、莧草を決するがごとし。ゆえに「莧陸夬夬」というのである。ただし至尊をもって至賤に敵するは、克ち勝つといえども貴ぶに足らない。ひとえに中行のゆえをもって、わずかに咎なきを得る。ゆえに「中行にして咎なし」というのである。

注の「莧陸は草の柔脆なる者」について。

正義に曰く、「莧陸は草の柔脆なる者」とは、子夏『伝』に「莧陸は木根にして草茎、剛が下にあり柔が上にあるなり」という。馬融・鄭玄・王粛はみな「莧陸は一名商陸(やまごぼう)」といい、みな莧陸をもって一物とする。黄遇は「莧は人莧なり。陸は商陸なり」といい、莧陸をもって二物とする。案ずるに、注にただ「草の柔脆なる者」というのは、これもまた一物と見なし、子夏らと同じくしているのである。

周易正義小象伝

正義に曰く、「中未だ光ならず」とは、重ねて中に居りながら行うとはいえ、親しく上六を決し、尊をもって卑に敵するをもって、未だ光大とするに足らないということである。

一撮金爻辞

九五五爻・下下:為す所は艱難なりと雖も、平地に波瀾起る。笑談終に忌むあり、事回りて心安きを覚ゆ。

出典