East Almanac
日本語

45. 泽地萃 (萃)

第3爻

この爻が動けば に変じる 31. 泽山咸 (咸)
六三:萃如たり、嗟如たり、利するところなし。往けば咎なきも、小しく吝なり。

現代解釈

萃の六三は、集まりの輪に入れず孤立や焦りを覚えやすい位置ですが、柔軟に上位の力に従うことで難を逃れられる局面です。孤高を気取らずに謙虚な協調姿勢をとることで、一時的な不本意さを乗り越えて前進できます。

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プロンプトプレビュー
易経・四柱推命のリーディング依頼(eastalmanac.com より)。
Page: Hexagram 45 萃 — 第3爻.
二層構造で解釈してください。1)理法の根拠:卦爻の変爻や干支五行の力点と注意すべき盲点。2)実践的アドバイス:問いに対する率直な結論、動詞から始まる2〜3の具体的な行動指針と内省の要点。決定論を排し、自省と意思決定の参考にしてください。出典・詳解:
https://eastalmanac.com/ja/yijing/45/3

易の占い

下卦の極みにありながら中正を得ず、正応にも恵まれないため、集まりたくても受け入れられず嘆息する「萃如嗟如」の苦境を表します。しかし小象伝が「上に巽(したが)うなり」と示すように、直上の九四に順応して進むことで咎を免れる道が示されています。意地を張って孤立を深めるのではなく、多少の体裁の悪さを受け入れて周囲に歩調を合わせることが肝心です。

仕事・キャリア

職場の中心的な輪や主要なプロジェクトから少し距離を感じ、疎外感や焦燥感を抱きやすいタイミングです。伝統的な易解では、一人で強引に状況を打開しようとするよりも、力のある先輩や主流のチームに協力を仰ぐことが推奨されます。一時的な不遇に腐らず周囲を立てて柔軟に立ち回ることで、次第に自らの居場所を確立できます。

恋愛・対人

相手との温度差を感じたり、自分ばかりが空回りしているように思えて寂しさを募らせやすい時期です。無理に距離を縮めようと迫るよりも、相手のペースを尊重して受け身の優しさを保つことが賢明であると古典は教えています。一方的な期待を手放して穏やかな調和を心がければ、関係のぎこちなさは解消へと向かいます。

金運

有力な情報や機会へのアクセスが限られ、独断での判断が小さな損失を招きやすい注意を要する局面です。伝統的な教えに従えば、新規の拡張や無理な投資は見送り、既存の安全策に従って手堅く守りを固めることが最善とされます。背伸びをした資金投入を慎み現状維持に徹することで、余計な摩擦や痛手を防げます。

参考資料

原文

小象伝

「往けば咎なし」とは、上、巽るなり。

古典注釈

周易本義小象伝

仮は更と白の反切。

萃は聚まることである。坤は順にして兌は説ぶ。九五は剛中にして二これに応ず。また沢が地上に上る万物萃聚の象であるゆえに萃となす。「亨」の字は衍文である。「王仮に廟あり」とは、王者はもって宗廟の中に至るべしということであり、王者が祭を卜する吉占である。『祭義』に「公太廟に仮る」とあるがこれである。廟は祖考の精神を聚むる所以であり、また人は必ず己の精神を聚め得てこそ廟に至りて祖考を承けることができる。物がすでに聚まれば必ず大人を見て然るのちに通ずるを得る。しかれどもまた必ず正しきに利ろし。聚まる所正しからざればまた亨るあたわず。大牲は必ず聚まりて然るのちに聚まりありてこそ往く所あるべし。みな吉を占い戒めあるの辞である。

説の音は悦。

卦徳・卦体をもって卦名の義を釈す 卦辞を釈す その理を極言してこれを賛す

周易本義爻辞

六三は陰柔にして不中不正、上に応与なく、近きに萃を求めんと欲して得られず。ゆえに嗟如として利ろしき所なし。ただ往きて上に従えばもって咎なきを得る。しかれどもその萃を得られず、困(くるし)みて然るのちに往き、重ねて陰極にして無位の爻を得るは、また小羞というべし。占う者はまさに近き不正の強援を捨てて遠き正応の窮交を結ぶべし、しからば咎なきを得るなりと戒めているのである。

周易本義小象伝

上は九五に比し下は衆陰に比してその萃を得たり。しかれども陽をもって陰に居りて正しからざるゆえに、占う者は必ず大吉にして然るのちに咎なきを得るべしと戒めているのである。

伊川易伝爻辞

三は陰柔にして不中不正の人である。人に萃を求むれども人与(くみ)するなし。四を求むればその正応にあらず、またその類にあらず。ここをもって不正として四の棄つる所となる。二と与にせんとすれば、二は自ら中正をもって五に応ずるがゆえに、不正として二の与せざる所となる。ゆえに萃まらんと欲すれば人に棄絶されて嗟如たり、萃を得られずして嗟恨するのである。上下ともに与せず、利ろしき所なし。ただ往きて上六に従えばその萃を得て咎なきをなす。三と上とは陰陽の正応にあらずといえども、萃の時は類をもって相従い、ともに柔をもって一体系の上に居り、またともに与なく相応ずる地に居る。上はまた説順の極に処すゆえに、その萃を得て咎なきを得るのである。易道は変動して常なし、人の識るにある。然るに小吝とは何ぞや。三は初め四と二とに萃を求め、得られずしてのちに往きて上六に従う。人の動為かくの如くなれば、求むる所を得るといえどもまた小羞小吝とすべし。

伊川易伝小象伝

上は柔説の極に居り、三が往きて咎なき者は、上六が巽順にしてこれを受くるからである。

周易注爻辞

その位にあらざるを踏み、もって四に比すも、四もまた位を失えり。不正相聚まり、相聚まりて不正なるは、患いの生ずる所である。人の応を幹(おか)すは害の起る所である。ゆえに「萃如嗟如たり、利ろしき攸なし」というのである。上六もまた応なくして独立し、極に処して危うきを憂え、援を思い朋を求め、巽(へりくだ)りてもって物を待つ者である。不正に萃まるよりは、志を同じくする者に之(ゆ)くに如かず。ゆえに往きて咎なきを得る。二陰の相合するは、猶お一陰一陽の応ずるに如かざるゆえに「小吝」あるなり。

周易正義爻辞

「六三萃如嗟如たり」から「小吝」に至るまで。

正義に曰く、萃の時に居り、「その位にあらざるを踏み、もって四に比すも、四もまた位を失えり。不正相聚まり、相聚まりて不正なるは患いの生ずる所なり。人の応を幹すは害の起る所なり」、ゆえに「萃如嗟如たり、利ろしき攸なし」というのである。「往けば咎なし、小吝」とは、「上六もまた応なくして独立し、極に処して危うきを憂え、援を思い朋を求め、巽りてもって物を待つ者なり。不正に萃まるよりは、志を同じくする者に之くに如かず、ゆえに往きて咎なきを得る」。ただし上六は陰であり己もまた陰なり。「二陰の相合するは、猶お一陰一陽の応ずるに如かざるゆえに小吝あるなり」。

周易正義小象伝

正義に曰く、上体柔巽にしてその朋を求むるをもって、三は往きて咎なきを得るのである。

出典