周易本義爻辞
幹は木の幹(みき)の、枝葉の附きて立つ所の如きなり。蠱は前人の已に壊ちたる緒(いとぐち)なり。故に諸爻皆父母の象有り。子能く之を幹するときは、則ち飭治して振起す。初六は蠱未だ深からずして事済い易し。故に其の占は子有れば則ち能く蠱を治めて考(ちち)咎無きを得ると為す。然れども亦た危うし。占う者を戒むるに宜しく是の如くすべし。又た危うきを知りて能く戒むれば則ち終には吉なるなり。
第1爻
初六:父の蠱を幹す。子あれば考に咎なし、危うけれども終には吉なり。
蠱の初めに位置し、前任者や先代が残した弊害や未解決の課題を進んで正し始める段階を示しています。初期の修復には危うさや緊張が伴いますが、敬意と誠実さをもって改善にあたれば、最終的には咎めなく吉に至ります。
AIにこのページを聞いてみる
リンクはプロンプトを事前入力するだけで送信しません — 主導権はあなたに。リンクが効かない場合は下のプロンプトをコピーしてください。
易経・四柱推命のリーディング依頼(eastalmanac.com より)。 Page: Hexagram 18 蛊 — 第1爻. 二層構造で解釈してください。1)理法の根拠:卦爻の変爻や干支五行の力点と注意すべき盲点。2)実践的アドバイス:問いに対する率直な結論、動詞から始まる2〜3の具体的な行動指針と内省の要点。決定論を排し、自省と意思決定の参考にしてください。出典・詳解: https://eastalmanac.com/ja/yijing/18/1
初六は最下位の柔軟な立場にありながら、九二の剛を承けて先人の残した歪みを整える「幹父之蠱」の役割を担います。小象伝に「意は考を承くるなり」とあるように、先代を責めるのではなくその志を受け継ぎつつ弊害を取り除く姿勢が、初期の危うさを乗り越えて吉を呼ぶと説かれます。敬意を保ちながら不具合を丁寧に繕うことで、摩擦を最小限に抑えて状況を前進させることができます。
職場では前任者のやり残した案件の整理や、形骸化したルールの引き継ぎなど、過去の負債を片付ける役割が巡ってきやすい時期です。地盤が固まらないうちの是正作業には慎重さが求められますが、誠実な改善の積み重ねが周囲の実力者の支持を引き出します。任された課題から逃げずに地道な是正を重ねることで、確固たる実績と信頼を獲得できます。
関係性において、互いの家庭環境や過去の恋愛から引きずっている古い思い込みが表面化しやすい暗示です。伝統的な易解では、相手の背景を頭ごなしに否定するのではなく、思いやりをもって受け止めながら修正を図ることが肝要とされます。過去のしがらみに優しく寄り添い二人で解きほぐしていくことで、関係はより深い安心感で満たされます。
過去の惰性で続けていた契約の解約金や、旧来の投資方針の修正に伴う初期コストなど、見直しのための支出が生じやすい局面です。一時的な負担や引き締めによる窮屈さはありますが、早い段階で不備を正すことが将来の大きな損失を防ぎます。過去の金銭的なほころびを放置せず清算しておくことで、家計の基盤は着実に健全さを取り戻します。
「父の蠱を幹す」とは、意、考を承くるなり。
周易本義爻辞
幹は木の幹(みき)の、枝葉の附きて立つ所の如きなり。蠱は前人の已に壊ちたる緒(いとぐち)なり。故に諸爻皆父母の象有り。子能く之を幹するときは、則ち飭治して振起す。初六は蠱未だ深からずして事済い易し。故に其の占は子有れば則ち能く蠱を治めて考(ちち)咎無きを得ると為す。然れども亦た危うし。占う者を戒むるに宜しく是の如くすべし。又た危うきを知りて能く戒むれば則ち終には吉なるなり。
伊川易伝爻辞
初六は最も下に居りと雖も、成卦は之に由り、主たるの義有り。内に居り下に在りて主と為るは、子父の蠱を幹するなり。子父の蠱を幹するの道は、能く其の事に堪うれば則ち子有りと為して其の考咎無きを得。然らざれば則ち父の累と為る。故に必ず惕厲すれば則ち終吉を得るなり。卑に処りて尊事を尸(つかさど)れば、自ずから当に兢畏すべし。六の才を以てすれば能く巽順すと雖も、体は乃ち陰柔にして、下に在りて応無くして幹を主とす、能く済すの義有るに非ず。若し幹に克(あた)わざるを以て言わば則ち其の義甚だ小なり。故に専ら子と為りて蠱を幹するの道を言う。必ず克く済せば則ち其の父を累わさず、能く厲うくすれば則ち以て終吉なるべし。乃ち子と為りて蠱を幹するの大法を具に見るなり。
伊川易伝小象伝
子父の蠱を幹するの道は、意父の事を承当するに在るなり。故に其の事を祗敬して以て父を咎無きの地に置き、常に惕厲を懐けば則ち終には其の吉を得るなり。父の事に誠を尽くすは吉の道なり。
周易注爻辞
事の首(はじめ)に処り、始めて任ぜらるるを見る者なり。柔巽の質を以て、父の事を幹し、能く先の軌を承け、其の任に堪うる者なり。故に「子有り」と曰うなり。任じられて事の首と為り、能く其の事に堪うれば、「考」乃ち咎無きなり。故に「子有り考咎無し」と曰うなり。事の首に当たる、是を以て危うきなり。能く其の事に堪う、故に「終吉」なり。
周易注小象伝
事を幹するの首は、時に損益有り、尽くは承く可からず、故に意もて承くるのみ。
周易正義爻辞
「初六」より「厲終吉」に至る。
正義に曰く、「幹父之蠱」とは、事の首に処り、柔巽の質を以て父の事を幹し、其の任に堪うるなり。「有子考無咎」とは、子有りて既に能く父の事に堪任すれば、「考」乃ち「咎無し」なり。其の事の初めに処るを以て、若し父の事に堪えざれば、則ち「考」咎有るなり。「厲終吉」とは、厲は危なり。既に事の初めと為る、所以に危うきなり。能く其の事に堪う、所以に「終吉」なり。
周易正義小象伝
正義に曰く、「幹父之蠱」の義を釈す。凡そ父の事を堪幹するは、小大損益一に父命に依る可からず、当に事を量り宜しきを制して意を以て考を承くるのみ。対文には父没するを「考」と称し、若し散じて之を言わば、生くるも亦た「考」と称す。『康誥』に「大いに厥の考の心を傷ましむ」と云うが若きは、是れ父の在すを考と称す。此れ父を幹するの文を避く、故に変じて「考也」と云うなり。