East Almanac
日本語

16. 雷地豫 (豫)

第2爻

この爻が動けば に変じる 40. 雷水解 (解)
六二:石に介たり、日を終えず、貞にして吉なり。

現代解釈

豫の卦の六二は、周囲が浮かれ楽しむ中にあっても中正の徳を保ち、石のように揺るぎない節操と鋭い洞察力を発揮する位置にあります。安楽に流されることなく、微かな兆候を察知して素早く自律的に身を処すことで、確固たる吉運を得られる段階です。

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プロンプトプレビュー
易経・四柱推命のリーディング依頼(eastalmanac.com より)。
Page: Hexagram 16 豫 — 第2爻.
二層構造で解釈してください。1)理法の根拠:卦爻の変爻や干支五行の力点と注意すべき盲点。2)実践的アドバイス:問いに対する率直な結論、動詞から始まる2〜3の具体的な行動指針と内省の要点。決定論を排し、自省と意思決定の参考にしてください。出典・詳解:
https://eastalmanac.com/ja/yijing/16/2

易の占い

伝統的な易学において、六二は下卦の中正を得ており、逸楽に溺れず「石に介す」と称される堅固な自制心を象徴します。その変卦は解卦であり、状況の変化の兆しを見逃さず迅速に行動し、断ずべき時に断ずる鋭い洞察が潜在的な滞りを解消することを示しています。平たく言えば、周囲の空気に流されず自分の境界線をしっかり保つことが、結果として自身を守り信頼につながります。

仕事・キャリア

職場や業界全体が気の緩みや過度な楽観論に傾いている局面であっても、六二の持つ実直さはプロフェッショナルとしての規律を保たせます。古典の知見では、問題の芽を早期に見極めて迅速に対処する決断力こそが、長期的な権威と成果を支えるとされています。要するに、目先の流行や妥協に惑わされず、自らの職分と基本原則を忠実に守り通す姿勢が評価されます。

恋愛・対人

対人関係や恋愛面では、相手の言葉に安易に惑わされず、自立した健全な距離感を維持することが肝要です。伝統的な解釈では、自らを律する誠実な態度が相手からの持続的な敬意を呼び起こすと捉えられます。わかりやすく言えば、相手に過度に依存せず自分自身の軸を大切にすることが、かえって関係をより清らかで安定したものにします。

金運

金銭管理においては、世間の投機熱や安易な儲け話の誘惑から一歩引き、客観的な視点を保つことが求められます。古典的示唆によれば、隠れたリスクの兆候を敏感に察知して迅速に計画を整えることこそが資産の健全性を守るとされます。つまり、根拠のないブームには乗らず、堅実で堅固な自己基準を守り抜くことが確実な安全策となります。

参考資料

原文

小象伝

日を終えず貞にして吉なりとは、中正なるを以てなり。

古典注釈

周易本義爻辞

雷地豫は楽を主とすといえども、人を溺れしめ易く、溺るれば反って憂いとなる。卦において独りこの爻のみ中にして正を得(得中・当位)、これ上下皆豫に溺るる中に独り能く中正をもって自ら守り、その介(かた)きこと石のごとし。その徳は安静にして堅確、ゆえにその思慮は明審にして、終日を俟たずして凡事の幾微(きび)を見るなり。『大学』に「安くして後によく慮り、慮りて後によく得」とあるは、意まさに此の如し。占う者かくのごとくなれば、すなわち正にして吉なり。

伊川易伝爻辞

逸豫の道は放(ほしいまま)なれば正を失う。ゆえに豫の諸爻は多く正を得ず、才と時と合すればなり。唯だ六二の一爻のみ中正に処り、また応無く、自守の象となす。豫の時に当たりて、独り能く中正をもって自守す、特立の操というべし。これその節介の石の堅きがごときなり。「石に介す」とは、その介たること石のごときなり。人の豫楽におけるや、心これを悦ぶ。ゆえに遅遅として遂に耽恋して已む能わざるに至る。六二は中正をもって自守し、その介たること石のごとく、その去ることの速やかなるは終日を俟たず。ゆえに貞正にして吉なるなり。豫に処りては安んじて且つ久しかるべからず。久しければすなわち溺る。六二のごときは幾を見て作(た)つ者というべし。夫子(孔子)は六二の幾を見るに因りて知幾の道を極言して曰く、「幾を知るはそれ神か。君子は上と交わりて諂わず、下と交わりて瀆(けが)さず。それ幾を知るか。幾とは動きの微にして、吉の先に見(あら)わるる者なり。君子は幾を見て作(た)ち、終日を俟たず。『易』に曰く『石に介たり、終日ならず、貞にして吉』と。介たること石のごとし、何ぞ終日を用いん、断として識るべきなり。君子は微を知り彰(あらわ)るるを知り、柔を知り剛を知る、万夫の望なり」と。夫れ事の幾微を見る者は、それ神妙なるかな。君子が上と交わりて諂うに至らず、下と交わりて瀆すに至らざるは、けだし幾を知ればなり。幾を知らざればすなわち過ちて已まざるに至る。上と交わるに恭巽をもってす、ゆえに過ぐればすなわち諂いとなる。下と交わるに和易をもってす、ゆえに過ぐればすなわち瀆しとなる。君子は幾微に見る、ゆえに過ぐるに至らざるなり。いわゆる幾とは、始め動くの微なり。吉凶の端緒にして先に見るべくして未だ著われざる者なり。独り吉と言うは、これを先に見れば豈に復た凶あるに至らんや。君子は明哲にして事の幾微を見る。ゆえに能くその介たること石のごとし。その守ることすでに堅ければ、すなわち惑わずして明らかに幾を見て動き、豈に終日を俟たんや。断とは別(わか)つなり。その判別見るべし。微と彰、柔と剛は相対する者なり。君子は微を見ればすなわち彰を知り、柔を見ればすなわち剛を知る。幾を知ることかくのごとく、衆の仰ぐところなり。ゆえにこれを賛えて「万夫の望」と曰うなり。

伊川易伝小象伝

能く終日ならずして貞にして且つ吉なるは、中正の徳有るを以てなり。中正なるが故にその守ること堅くして、能くこれを弁ずること早く、これを去ること速やかなり。爻が六二の豫に処る道を言うは、教えをなすの意深きなり。

周易注爻辞

豫の時に処りて、位を得て中を履み、かの貞正に安んじ、苟も豫を求めざる者である。順にして苟も従わず、豫にして中を違えず、ここを以て上と交わりて諂わず、下と交わりて瀆さず。禍福の生ずる所を明らかにす、ゆえに苟も説(よろこ)ばず。必然の理を弁ず、ゆえにその操を改めず石のごとく介たり。「終日ならず」とは明らかなり。

周易正義爻辞

正義に曰く、「石に介す」とは、位を得て中を履み、かの貞正に安んじ、苟も逸豫を求めず、上と交わりて諂わず、下と交わりて瀆さず、事の初始の幾を知り、禍福の生ずる所を明らかにし、苟も逸豫を求めず、志を守ること耿介にして石に似たり。然りて幾を見ることの速やかなるは終竟一日を待たず、悪を去り善を修め、正を守り相いて吉を得るなり。

周易正義小象伝

正義に曰く、「貞吉」の義を解釈する。その悪事を見るや、即座に能く離れ去り、終日を待たずして正を守り吉なるゆえんは、この六二が中に居り正を守り、順にして苟も従わず、豫にして中を違えざるを以て、ゆえにその一日の終るを待つを須いずして貞を守り吉なるなり。

一撮金爻辞

六二・二爻(中中):石を鑿ちて玉を得、砂を淘(あら)いて珠を得る。眼前目下、何ぞ躊躇を用いん。

出典