East Almanac
日本語

61. 风泽中孚 (中孚)

第2爻

この爻が動けば に変じる 42. 风雷益 (益)
九二:鳴く鶴陰にあり、その子これに和す。我に好爵あり、吾爾とともにこれに靡かん。

現代解釈

中孚卦の九二は、内なる至誠が表に現れ、遠くの同調者と深く共鳴し合う情景を示します。誠実な心をもって得た恵みを周囲と分かち合うことで、調和と繁栄が大きく広がります。

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プロンプトプレビュー
易経・四柱推命のリーディング依頼(eastalmanac.com より)。
Page: Hexagram 61 中孚 — 第2爻.
二層構造で解釈してください。1)理法の根拠:卦爻の変爻や干支五行の力点と注意すべき盲点。2)実践的アドバイス:問いに対する率直な結論、動詞から始まる2〜3の具体的な行動指針と内省の要点。決定論を排し、自省と意思決定の参考にしてください。出典・詳解:
https://eastalmanac.com/ja/yijing/61/2

易の占い

下卦の中位を得た陽爻として、内に満ちた誠意が声となって響き渡る象を表しています。易の伝統的注釈では「鶴陰に鳴き、その子これに和す」と詠まれ、誠実な徳は目立たない場所にいても必ず共鳴者を呼び寄せると説かれます。作為なく純粋な善意を発信し続けることが、志を同じくする協力者との固い結びつきを生みます。

仕事・キャリア

派手な自己アピールに走らなくとも、実直な仕事ぶりと確かな専門性が自然と周囲の信頼を集めます。伝統的な観点では、誠実な態度は陰にあっても響き渡り、同僚や部下からの自発的な協力を引き出すとされます。誠意を込めて職務に専念していれば、自然と正当な評価と心強い仲間に恵まれます。

恋愛・対人

飾らない素直な心情を伝え合うことで、言葉以上に深い精神的な調和が生まれる時期です。古典解釈では、心の底からの願いが通じ合い、喜びを共に分かち合う美しい関係性が称えられています。見栄を捨ててありのままの真心を差し出すことが、着実なやり取りの中で二人の絆を次第に深めていくことにつながります。

金運

経済活動や協業においては、利益の独占を避け、パートナーと公平に分かち合う姿勢が実を結びます。伝統的な教えにある好爵を分け合う姿勢は、互恵の信頼を築き長期的な安定をもたらす象徴です。透明性の高い協力体制を維持することが、双方の堅実な発展へとつながりやすくなります。

参考資料

原文

小象伝

その子これに和すとは、中心より願うなり。

古典注釈

周易本義爻辞

和は胡臥の反。靡は亡池の反。

九二は中孚の実にして九五もまた中孚の実を以てこれに応ず。ゆえに鶴鳴き子和し、我に好爵あり爾に靡(わか)たんの象あり。鶴の陰に在りとは九が二に居るを謂い、好爵とは中を得るを謂う。靡は縻と同じ。懿徳は人の好む所なれば、好爵は我が独り有する所と雖も、彼もまたこれに係恋するを言うなり。敵とは上九、信の窮まりし者を謂う。六三は陰柔中正ならず、説の極に居りてこれと応ず。ゆえに自ら主とすること能わずして其の象かくのごとし。幾の音は機。望は無方の反。

六四は陰に居りて正を得、位君に近く、月幾望の象たり。馬匹とは初と己が匹たるを謂う。四は乃ちこれを絶ちて上に五を信ず。ゆえに馬匹亡ぶの象たり。占う者かくのごとくなれば咎なきなり。上は上声。

伊川易伝爻辞

二は剛実にして中孚の至れる者なり。孚至れば能く感通す。鶴の幽隠の処に鳴くは聞こえざるも、其の子相応和し、中心の願い相通ずるなり。好爵我にありて彼もまた繋慕す、好爵を説ぶの意同じきなり。孚中にあれば物応ぜざるなし、誠同じきが故なり。至誠には遠近幽深の間なし。ゆえに繋辞に「善なれば千里の外もこれに応じ、不善なれば千里の外もこれに違う」と云うは、誠の通ずるを言うなり。至誠感通の理は、道を知る者を能く識るとなす。象に曰く、「その子これに和すとは、中心の願なり」。中心の願とは、誠意の願う所を謂うなり。ゆえに通じて相応ず。

周易注爻辞

内に処りて重陰の下に居り、而も履みて中を失わず、外に徇(したが)わずして其の真に任ずる者なり。誠を立てること篤至なれば、闇昧に在りと雖も物また応ず。ゆえに「鶴陰に鳴き、其の子これに和す」と曰うなり。権利を私せず、唯だ徳にのみ与(くみ)すは、誠の至りなり。ゆえに「我に好爵あり、物とこれを散ぜん」と曰う。

周易正義爻辞

正義に曰く:「鳴く鶴陰にあり、その子これに和す」とは、九二は剛を体とし、卦内に処り、また三・四の重陰の下に在りて、履みて中を失わざるは、外に徇わずして自ら其の真に任ずる者なり。幽昧に処りて行い信を失わざれば、声外に聞こえて同類の応ずる所となる。鶴の幽遠に鳴きて其の子の和するがごとし。ゆえに「鳴く鶴陰にあり、その子これに和す」と曰うなり。「我に好爵あり、吾爾とこれに靡(わか)たん」とは、靡は散なり。また偏応なければ、これ権利を私せず、惟だ徳にのみ与す。もし我に好爵あらば、吾れ願わくは爾賢者と分散してこれを共にせん。ゆえに「我に好爵あり、吾爾とこれに靡たん」と曰うなり。

正義に曰く:「中心の願なり」とは、誠信の人は同類と相応ぜんと願い、誠信を得てこれに応ずるは、これ中心の願なり。

出典