East Almanac
日本語

61. 风泽中孚 (中孚)

第6爻

この爻が動けば に変じる 60. 水泽節 (节)
上九:翰音天に登る、貞にして凶。

現代解釈

中孚卦の上九は極限に達して中庸を失い、実質が伴わないまま名声や主張ばかりが先行する過熱の兆しを示します。伝統的な易解では、中身のない誇張や虚勢は長続きせず、無理を重ねれば行き詰まると警告されています。

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プロンプトプレビュー
易経・四柱推命のリーディング依頼(eastalmanac.com より)。
Page: Hexagram 61 中孚 — 第6爻.
二層構造で解釈してください。1)理法の根拠:卦爻の変爻や干支五行の力点と注意すべき盲点。2)実践的アドバイス:問いに対する率直な結論、動詞から始まる2〜3の具体的な行動指針と内省の要点。決定論を排し、自省と意思決定の参考にしてください。出典・詳解:
https://eastalmanac.com/ja/yijing/61/6

易の占い

上九は誠の道が極まり、内実の充実よりも外面的な誇示へと偏りやすい危うさを抱えています。古典が「翰音天に登る」と戒めるように、飛べない鶏の声だけが高く響くような状態は基盤が脆く、頑なに体裁を保とうとすれば行き詰まりを招く恐れがあります。誇張や虚栄を退け、足元の地道な実力蓄積へと立ち戻ることが急務です。実質の伴わない自己アピールを控え、地に足の着いた行動を心がけることが難を避ける鍵となります。

仕事・キャリア

実力やリソースを越えた過大な公約やアピールは、後の信用失墜を招きかねないため慎重さが求められます。古典の注釈が「何ぞ長かるべけんや」と問うように、中身の伴わない評判は一時的に通用しても試練に耐えられません。見栄を捨てて現在の課題を客観的に見つめ直し、着実に業務の質を高めていく姿勢が肝要です。誇大広告や過度な背伸びを避け、本質的な成果を積み上げることが身を守ります。

恋愛・対人

外面的な体裁や大げさな約束に頼ると、現実の対話において期待とのギャップが生じやすくなります。伝統的な教えでは、誠実さを欠いた誇張は相手との心の距離を広げる要因になるとされます。自分を過大に見せようとせず、等身大の素直な気持ちと日常的な配慮を示すことが関係の破綻を防ぎます。背伸びをせずありのままの誠意を分かち合うことが、真の信頼を取り戻す道です。

金運

話題性ばかりが先行し、実体の乏しい宣伝や過度な好条件に惑わされないよう警戒が必要です。古典的な見立てでは、根拠の薄い高望みは急激な調整を招きやすい前兆とされます。目先の派手な話に飛びつく前に契約内容や実情を冷静に精査し、過剰なリスクから身を引く分別が求められます。甘い言葉や誇大表示を警戒し、手堅い現実路線を守ることが資産の保全につながります。

参考資料

原文

小象伝

翰音天に登る、何ぞ長かるべけんや。

古典注釈

周易本義爻辞

信の極に居りて変を知らず、その貞を得ると雖もまた凶の道なり。ゆえにその象占かくのごとし。鶏を翰音と曰う、乃ち巽の象なり。巽の極に居るを天に登るとす。鶏は天に登るの物にあらずして天に登らんと欲す。信ずべき所にあらざるを信じて変を知らざるも、亦た猶おこれのごとし。

伊川易伝爻辞

翰音とは、音飛びて実従わざるなり。信の終わりに処る。信終われば衰え、忠篤は内に喪われ、華美は外に揚がる。ゆえに「翰音天に登る、正もまた滅びん」と云う。陽の性は上進し、風の体は飛揚す。九は中孚の時に居りて最上に処る。上進を孚として止まるを知らざる者なり。その極は羽翰の音の登りて天に聞こゆるに至る。ここに貞固にして変を知らざれば、凶なるや知るべし。夫子曰く、「信を好みて学を好まざれば、その蔽や賊なり」と。固守して通ぜざるの謂いなり。

伊川易伝小象伝

孚を守りて窮極に至りて変を知らず、豈に長久なるべけんや。固守して通ぜざれば、かくのごときは凶なり。

周易注爻辞

翰は高飛なり。飛音とは、音飛びて実従わざるの謂いなり。卦の上に居り、信の終わりに処る。信終われば衰え、忠篤は内に喪われ、華美は外に揚がる。ゆえに「翰音天に登る」と曰うなり。翰音天に登れば、正もまた滅びん。

周易正義爻辞

正義に曰く:翰は高飛なり。飛音とは、音飛びて実従わざるの謂いなり。上九は信の終わりに処る。信終われば衰うるなり。信衰うれば詐り起き、忠篤は内に喪われ、華美は外に揚がる。鳥の翰音の天に登り、虚声遠く聞こゆるがごときなり。ゆえに「翰音天に登る」と曰う。虚声にして実なきは、正しくするも凶なり。ゆえに「貞なれども凶なり」と曰う。

周易正義小象伝

正義に曰く:「何ぞ長かるべけんや」とは、虚声にして実なければ、何ぞ久しく長かるべけんや。

出典