East Almanac
日本語

35. 火地晉 (晋)

第4爻

この爻が動けば に変じる 23. 山地剝 (剥)
九四:進むこと鼫鼠の如し。貞なれども厲うし。

現代解釈

能力や器に見合わない高い地位にしがみつき、卑屈な保身に走る危うさを厳しく戒める局面です。不相応な野心を捨てて公明正大に徹しなければ、やがて足元から基盤が崩れかねません。

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プロンプトプレビュー
易経・四柱推命のリーディング依頼(eastalmanac.com より)。
Page: Hexagram 35 晋 — 第4爻.
二層構造で解釈してください。1)理法の根拠:卦爻の変爻や干支五行の力点と注意すべき盲点。2)実践的アドバイス:問いに対する率直な結論、動詞から始まる2〜3の具体的な行動指針と内省の要点。決定論を排し、自省と意思決定の参考にしてください。出典・詳解:
https://eastalmanac.com/ja/yijing/35/4

易の占い

伝統的な卦辞の読解において九四は、陰位に陽が居て不中正となり、上の君位を脅かす不穏な位置にあるとされます。爻辞はこれを多芸でありながら一つも極められず不安に怯える「鼫鼠」に例え、小象伝も「位当たらざるなり」として之卦の剥が示す崩壊の危険を警告します。不正な抜け道や保身の策略を即刻手放し、謙虚に身を処すことが難を避ける唯一の道です。

仕事・キャリア

実力や実績が伴わないまま重要な役割を担うプレッシャーから、情報隠蔽や小手先の根回しに頼りたくなる傾向が生じます。しかし不透明な振る舞いは周囲の不信を招き、立場そのものを危うくする引き金になりかねません。過度な功名心を抑え、誠実な情報開示と地道な実務に立ち戻ることが身の安全を守ります。

恋愛・対人

相手に言えない計算や隠し事を抱えたり、保身のために曖昧な態度を続けたりすると、関係の根底が大きく揺らぎます。うわべの繕いはすぐに見透かされ、一度失った信頼を取り戻すには長い時間を要することになります。打算や駆け引きを一切捨て、誠心誠意ありのままの事実を伝えることが破綻を防ぎます。

金運

目先の甘い儲け話やグレーゾーンの取引に手を出すと、思わぬ損失や信用の失墜を招く危険が潜んでいます。近道を選ぼうとする焦りが判断を狂わせ、結果として蓄えを大きくすり減らすことになりかねません。コンプライアンスを最優先にし、筋の通らない利益には一切関わらない潔さが財産を守ります。

参考資料

原文

小象伝

「鼫鼠にして貞なれども厲うし」とは、位当たらざるなり。

古典注釈

周易本義爻辞

鼫は音石。

中ならず正ならずして以て高位を窃(かす)め、貪りて人を畏る。蓋し危うき道なり、故に鼫鼠(せきそ)の象となす。占う者是の如くなれば正と雖も亦た危うし。

伊川易伝爻辞

九を以て四に居るは、其の位に非ざるなり。其の位に非ずしてこれに居るは、貪りて其の位に拠る者なり。貪りて高位に処るは既に安んずる所に非ず、而して又た上と徳を同じうして上に順麗す。三陰皆己が下に在り、勢い必ず上進す、故に其の心これを畏忌す。貪りて人を畏るる者は鼫鼠なり、故に「晉如鼫鼠たり」と云う。拠るに非ざるに貪りて畏忌の心を存し、貞固に此れを守らば其の危うきこと知るべし。貞厲と言う者は、改むる有るの道を開くなり。

伊川易伝小象伝

賢者は正徳を以て宜しく高位に在るべし。不正にして高位に処らば則ち拠るに非ざるとなす。貪りて失わんことを懼るれば則ち人を畏る。固く其の地に処らば危うきこと知るべきなり。

周易注爻辞

其の位に非ざるを履み、上は五を承(しょう)し、下は三陰に拠るも、其の位に非ざるを履む。又た負にして且つ乗り、安んずべき業無く、志拠る所無し。斯れを以て進となさば、正の危うきなり。進むこと鼫鼠の如くにして、守る所無きなり。

周易正義爻辞

「九四晉如鼫鼠たり、貞厲なり」。

正義に曰く、「晉如鼫鼠たり」とは、鼫鼠は五能有りて伎を成さざるの虫なり。九四は其の位に非ざるを履み、上は五を承し、下は三陰に拠るも、上は其の承を許さず、下は其の拠を許さず。斯れを以て進となさば、安んずべき業無く、守るべき拠無く、事鼫鼠と同じくして、成功する所無きなり。斯れを以て進となさば、正の危うきなり、故に「晉如鼫鼠たり、貞厲なり」と曰うなり。

注の「其の位に非ざるを履み」より「守る所無きなり」に至る。

正義に曰く、「晉如鼫鼠たり守る所無きなり」とは、蔡邕の『勧学篇』に云う「鼫鼠五能あれど一の伎術をも成さず」と。『注』に曰く「飛ぶ能えども屋を過ぐる能わず、縁(のぼ)る能えども木を窮むる能わず、游ぐ能えども谷を度る能わず、穴する能えども身を掩う能わず、走る能えども人に先んずる能わず」と。『本草経』に云う「螻蛄(おけら)は一名鼫鼠」とは、此れを謂うなり。鄭玄は『詩』の「碩鼠碩鼠、我の黍を食らう無かれ」を引きて大鼠と謂う。陸機は以為(おもえ)らく「雀鼠」と。案ずるに王弼の以為らく「守る所無し」とは、蓋し五伎の者に当たるなり。

出典