周易本義爻辞
六二は中正なれど、上に応援無し。故に進まんと欲して愁う。占う者是の如くにして能く正を守らば、則ち吉にして王母に福を受く。王母は六五を指す。蓋し先妣を享する吉占にして、凡そ陰を以て尊に居る者は皆其の類なり。三の中正ならずして悔有るべき宜しき者は、其の下の二陰と皆上進せんと欲するを以て、是を以て衆の信ずる所となりて悔亡するなり。
第2爻
六二:進む如く、愁うる如し。貞にして吉。この介福を、その王母より受く。
進展の中で一時的な孤独や憂いが生じやすい局面ですが、中正を守り誠実を尽くすことで目上の庇護や大きな福分を得られます。目先の滞りに惑わされず足元を固める姿勢が、確かな好転への道を開きます。
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易経・四柱推命のリーディング依頼(eastalmanac.com より)。 Page: Hexagram 35 晋 — 第2爻. 二層構造で解釈してください。1)理法の根拠:卦爻の変爻や干支五行の力点と注意すべき盲点。2)実践的アドバイス:問いに対する率直な結論、動詞から始まる2〜3の具体的な行動指針と内省の要点。決定論を排し、自省と意思決定の参考にしてください。出典・詳解: https://eastalmanac.com/ja/yijing/35/2
伝統的な解釈において六二は、下卦の中央で正しさを保ちながらも、正応に恵まれず進退に憂愁を抱く姿とされます。しかし爻辞に「其の王母より大いなる福を受く」とある通り、小象伝が説く中正の德によって高貴な庇護を得て、之卦の未済が示す状況にも確かな活路がもたらされます。孤独や足踏みに動じることなく節度を守り抜くことで、最終的に厚い助力を授かるでしょう。
職場での後ろ盾が乏しく孤立感を抱きやすい時期であり、計画の進展の遅さに気をもむ場面が見られます。それでも地道に本分を尽くす誠実さは、離れた立場にいる実力者や上層部の目に確実に留まっています。目先の評価を焦らず職責を全うすることが、将来の揺るぎない引き立てへとつながります。
環境の制約や将来への迷いから、関係の進展に対して一時的な気後れや憂いを感じる可能性があります。しかし純粋な敬意と真心を保ち続ければ、年長者や家族からの温かい理解と後押しを得られる兆しです。焦って急展開を求めず丁寧に想いを育むことが、確固たる絆を築く確かな道となります。
期待通りの即効性が得られず、初期の負担感から金銭的な不安が募りやすい星回りです。一攫千金を狙うのではなく、伝統的な貯蓄手法や信頼できる先達の知恵に学び、規律を守ることが最善の防衛となります。手元の基盤を堅実に維持し続ければ、やがて安定した実りが定着していきます。
「この介福を受く」とは、中正なるを以てなり。
周易本義爻辞
六二は中正なれど、上に応援無し。故に進まんと欲して愁う。占う者是の如くにして能く正を守らば、則ち吉にして王母に福を受く。王母は六五を指す。蓋し先妣を享する吉占にして、凡そ陰を以て尊に居る者は皆其の類なり。三の中正ならずして悔有るべき宜しき者は、其の下の二陰と皆上進せんと欲するを以て、是を以て衆の信ずる所となりて悔亡するなり。
伊川易伝爻辞
六二は下に在りて上に応援無く、中正柔和の徳を以て、進むに強(つと)むる者に非ざるなり。故に進むにおいて愁うべしと為すは、其の進むの難きを謂うなり。然れども其の貞正を守らば則ち当に吉を得べし、故に「晉如愁如たれども、貞にして吉なり」と云う。王母は祖母なり、陰の至尊なる者を謂いて六五を指すなり。二は中正の道を以て自ら守り、上に応援無く自ら進む能わずと雖も、然れども其の中正の徳は久しくして必ず彰(あらわ)る。上の人自ら当にこれを求むべし。蓋し六五の大明の君は之と徳を同じうし、必ず当にこれを求めて之に寵禄を加え、王母に介福を受くべきなり。介は大なり。
伊川易伝小象伝
此の介福を受くるは、中正の道を以てするなり。人能く中正の道を守らば久しくして必ず亨らん。況んや大明上に在りて徳を同じうすれば必ず大福を受くるをや。
周易注爻辞
進みて応無く、其の徳昭かならず、故に「晉如愁如たり」と曰う。中に居り位を得、順を履みて正なり、応無きを以て其の志を回(めぐ)らさず、晦に処りて能く其の誠を致す者なり。徳を修むること斯の如くなれば、幽昧にも聞こゆ、正を得るの吉なり、故に「貞にして吉なり」と曰う。「母」とは、内に処りて徳を成す者なり。「鳴く鶴陰に在れば、其の子これに和す」、闇に誠を立てれば、闇も亦たこれに応ず、故に其の初めは「愁如たり」。貞を履みて回らざれば、則ち乃ち此の大福を其の王母に受くるなり。
周易正義爻辞
「六二晉如愁如」より「其の王母に」に至る。
正義に曰く、「晉如愁如たり」とは、六二は進みて上に応無く、其の徳昭明ならざるが故に「進如愁如たり」と曰い、其の昭かならざるを愁うるなり。「貞にして吉なり」とは、然れども順を履みて中正に居り、応無きを以て其の徳を修めざること無く、正にして吉を獲る、故に「貞にして吉なり」と曰うなり。「此の介福を其の王母に受く」とは、介は大なり。母とは内に処りて徳を成す者なり。初めは「愁如たり」と雖も、但だ正を守りて改めざれば、終には能く此の大福を其の修むる所に受く、故に「此の介福を其の王母に受く」と曰う。
注の「進みて応無く」より「其の王母に受くるなり」に至る。
正義に曰く、「鳴く鶴陰に在れば其の子これに和す」とは、此れ王弼が風沢中孚九二の爻辞を用いるなり。