East Almanac
日本語

38. 火泽睽 (睽)

第1爻

この爻が動けば に変じる 64. 火水未濟 (未济)
初九。悔い亡ぶ。馬を喪うも逐うことなかれ、自ら復らん。悪人を見るも咎なし。

現代解釈

初九は背離や不和が始まる初期にあたり、一時的な逸脱や損失があっても焦って追う必要はないと教えます。自然な循環を信じ、苦手な相手とも角を立てずに接することで咎めを免れます。

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プロンプトプレビュー
易経・四柱推命のリーディング依頼(eastalmanac.com より)。
Page: Hexagram 38 睽 — 第1爻.
二層構造で解釈してください。1)理法の根拠:卦爻の変爻や干支五行の力点と注意すべき盲点。2)実践的アドバイス:問いに対する率直な結論、動詞から始まる2〜3の具体的な行動指針と内省の要点。決定論を排し、自省と意思決定の参考にしてください。出典・詳解:
https://eastalmanac.com/ja/yijing/38/1

易の占い

易の伝統的な解釈において、初九は正位を得ながらも九四と応じず、環境の齟齬に直面する初期段階とされます。爻辞にある「馬を喪うも逐うなかれ、自ら復る」は、無理に追わずとも時が来れば本来の調和が戻る理を示し、小象伝は悪人と会うのも災いを避ける柔軟な配慮であると説きます。一時的な狂いに慌てず、成り行きに任せて身を処すことで状況は自然と好転します。

仕事・キャリア

新規事業の立ち上げや新しい環境では、方針の食い違いや一時的なリソースの離散に直面しやすい時期です。伝統的な易理は、慌てて挽回を急ぐよりも、足元の役割に専念することで必要な人脈や信頼はおのずと戻ると示唆しています。気まずい相手とも適度な礼節を保ちつつ、無理な追跡を控えることが仕事の地盤を守る鍵となります。

恋愛・対人

ささいな誤解やすれ違いから一時的な距離ができる傾向がありますが、無理に白黒をつけようと迫るのは逆効果です。少し時間と余白を置くことで、真摯な情愛であれば自然と元の関係へと戻っていくと古典の知恵は伝えています。焦って相手を追い詰めず、穏やかに見守る姿勢が絆を修復へと導きます。

金運

一時的な資金の滞りや機会の逸失を感じても、焦燥感から無理な取引や深追いをすると余計な損失を招きかねません。伝統的な見方では、固有の周期に従って巡りが戻るのを待つ冷静な姿勢こそが安全策とされます。目の前の小さな損失に動揺せず、基本の管理に徹することが資産の安定を守ります。

参考資料

原文

小象伝

悪人を見るは、以て咎を辟くるなり。

古典注釈

周易本義爻辞

「喪」の音は去声。

上に正応なく悔いあるなり。しかるに睽の時に居り、同徳相い応ずればその悔いは亡ぶ。ゆえに馬を喪うも逐うことなかれ自ら復るの象がある。然りといえどもまた必ず悪人を見れば然るのちに咎を避くべし。孔子の陽貨におけるが如きである。

周易本義小象伝

辟の音は避。

伊川易伝爻辞

九は卦の初めに居り睽の始めである。睽乖の時にあたり剛を以て下に動けば悔いあるは知るべきである。亡ぶるを得る所以のものは、九四が上に在りてまた剛陽を以て睽離し与にするなく、自然と同類相い合するからである。同じくこれ陽爻にして下に居り、また相い応ずるの位に当たる。二陽は本より相い応ずる者にあらざるも、睽に在るを以て合するのである。上下相い与にするゆえによくその悔いを亡ぼす。睽においては諸爻みな応がある。それ合あれば睽あり、本より異なれば何ぞ睽あらん。ただ初と四のみは応にあらざるも同徳相い与にするゆえに相い遭うのである。馬とは行かんがための具である。陽は上行するものである。睽において独り与にするなければ行われず、これその馬を喪うなり。四がすでにこれと合すれば行われ、これ逐うことなかれ馬また得らるるなり。悪人とは己と乖異する者である。「見(まみ)ゆ」とは相い通ずることである。睽の時に当たり、同徳の者は相い与にすといえども、小人の乖異する者は至って多し。もしこれを棄絶せば、天下を挙げて君子を仇とするに近くならんか。是の如くなれば合の義を失い、凶咎を致す道となる。またいずくんぞ不善を化してこれをして合わしめ得んや。ゆえに必ず悪人を見れば咎なきなり。古の聖王が姦凶を化して善良となし、仇敵を変じて臣民となし得た所以のものは、絶たざるに由るのである。

伊川易伝小象伝

睽離の時は人情乖違し、これを和合せんと求むるもなおその得ざるを病む。もし悪人を以てこれを拒絶せば、すなわち衆は君子を仇とし禍咎至らん。ゆえに必ずこれを見るは、怨咎を免れ避けんがためである。怨咎なければすなわち合す可きの道あり。

周易注爻辞

睽の初めに処し下体の下に居り、応なく独立す、悔いなり。四と志を合わせるゆえに「悔い亡ぶ」を得る。馬とは必ず顕わるるの物である。物の始めに処し、乖きてその馬を喪うも、物は同ずる能わずその私の相い顕わるる必せり、ゆえに「逐うことなかれ」して「自ら復る」のである。時まさに乖離にして窮下に位し、上に応として援くべきなく、下に権として恃むべきなし。徳を顕わして自ら異ならしめば悪に害さるる所となる。ゆえに「悪人を見れば」すなわち咎を免るるを得るのである。

周易正義爻辞

「初九、悔い亡ぶ。馬を喪うも逐うことなかれ自ら復る。悪人を見れば咎なし」。

正義に曰く、「悔い亡ぶ」とは、初九は睽離の初めに処し「下体の下に居り、応なく独立す」、ゆえに悔いあるなり。四もまた下に処して応なく独立し、己に乖かず、己と志を合す。ゆえに「悔い亡ぶ」を得る。「馬を喪うも逐うことなかれ自ら復る」とは、時まさに睽離にして触目乖阻す。馬の物たる隠し難く、時においてあるいはこれを失うも相い容れ隠すことなく、尋ね求むるを須いず勢い必ず「自ら復る」。ゆえに「馬を喪うも逐うことなかれ自ら復る」と曰うのである。「悪人を見れば咎なし」とは、窮下に処して上に応なく、応なければ援くべきなく、窮下なれば恃むべき権なし。もし自ら異なりを標顕し、和光同塵すること能わざれば、必ず悪人の害する所となる。ゆえに「悪人を見れば咎なし」と曰う。「見」とは遜りてこれに接することをいう。

周易正義小象伝

「象に曰く、悪人を見るは以て咎を辟くるなり」。

正義に曰く、「以て咎を辟くるなり」とは、悪人とは相い見るべきにあらざるに、遜りてこれに接するは、以て「咎を辟くる」ためである。

一撮金爻辞

初九・初爻下中:上下分かれ、憂愁決す。千嶂の雲、一輪の月。

出典