East Almanac
日本語

28. 泽风大過 (大过)

第2爻

この爻が動けば に変じる 31. 泽山咸 (咸)
九二:枯楊稊を生じ、老夫其の女妻を得。利あらざるなし。

現代解釈

大過卦九二は陽爻が下卦の中位にあり、枯れ木に新芽が吹き出し陰陽が再び調和する生気回復の象を示します。伝統的な易注では、重圧や危機の中で思いがけない好機に恵まれ、何事も利を得る兆しとされます。

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プロンプトプレビュー
易経・四柱推命のリーディング依頼(eastalmanac.com より)。
Page: Hexagram 28 大过 — 第2爻.
二層構造で解釈してください。1)理法の根拠:卦爻の変爻や干支五行の力点と注意すべき盲点。2)実践的アドバイス:問いに対する率直な結論、動詞から始まる2〜3の具体的な行動指針と内省の要点。決定論を排し、自省と意思決定の参考にしてください。出典・詳解:
https://eastalmanac.com/ja/yijing/28/2

易の占い

九二は下卦・巽の中位を得て剛中であり、初六の陰と親しみ、之卦は咸卦となって感応と新生の機微を宿します。古典の解釈では「枯楊生稊(枯れ柳に芽が生ず)」を異例の巡り合わせや枯れ木に春が訪れる吉兆と見なします。従来の常識にとらわれない柔軟な結びつきを受け入れることで、停滞した状況を大きく好転させられます。

仕事・キャリア

停滞していた業務や事業が思わぬ方向から息を吹き返し、異業種との連携や非典型的な手段によって推進力を取り戻します。九二の剛中の徳が下の柔軟な支えと響き合い、見過ごされていた既存資産から新たな価値が掘り起こされる配置です。過去の固定観念を捨てて新鮮な視点や人材を取り入れることが、局面突破の鍵となります。

恋愛・対人

年齢差や経験、環境の違いが大きい相手との関係において、思いがけない深い共鳴や活力が生まれる兆しです。伝統的な象意である「老夫、女妻を得る」は、型破りな組み合わせが互いの不足を補い合い、新たな絆を育むことを暗示しています。世間の枠組みにとらわれず素直に向き合うことで、豊かな関係を築くことができます。

金運

資金の流れが回復期に入り、これまで眠っていた資産や停滞していた案件が流動性を取り戻す暗示があります。之卦の咸卦は柔軟な協力体制や遊休資源の有効活用を通じて利が生まれることを示唆しています。枠外にある細かな再生の兆候を見逃さず機敏に対応することで、健全な財務の循環を促せます。

参考資料

原文

小象伝

老夫女妻は、過ぎて以て相与するなり。

古典注釈

周易本義爻辞

「梯」は吐兮の反。

陽が過ぐるの始めにして初陰に比す。ゆえにその象占がかくの如くである。梯は根であり、下に栄えるものである。下に栄えれば上に生ず。夫は老いたりといえども女妻を得れば、なお生育の功を成すことができるのである。

伊川易伝爻辞

陽の大過は陰に比すれば和合する。ゆえに二と五にはともに生の象がある。九二は大過の初めに当たり、得中して柔に居り、初と密に比して相与す。初はすでに切に二に比し、二もまた上に応がない。その相与することは知るべし。これ剛過の人にして能く中をもって自ら処し、柔を用いて相済う者である。剛に過ぎれば為すところ能わず、九三がこれである。中を得て柔を用いれば能く大過の功を成し、九二がこれである。楊は陽気に感じやすい物であり、陽が過ぐれば枯れる。楊が枯槁してまた稊(ひこばえ)を生ずるのは、陽が過ぐれどもいまだ極に至らざるためである。九二は陽が過ぐれども初と与にするのは、老夫が女妻を得る象である。老夫にして女妻を得れば能く生育の功を成す。二は中を得て柔に居り初と与にするゆえに、能くまた稊を生じて過極の失なく、利ろしからざる所はない。大過において陽爻が陰に居るは善であり、二と四がこれである。二に「吉」と言わずまさに「無所不利」と言うのは、いまだ遽かには吉に至らざるゆえである。稊は根である。劉琨の勧進表に「繁華を枯荑に生ず」というのは枯根をいう。鄭易もまた荑の字に作り、稊と同じである。

伊川易伝小象伝

老夫が少女を説び、少女が老夫に順う。その相与することは常分に過ぐるとは、九二と初六の陰陽が相与することの和が常に過ぐることをいう。

周易注爻辞

「稊」とは、楊の秀(ほ・芽)である。陽をもって陰に処し、よくその本を過越してその弱きを救う者である。上に応はなく、心に持吝(執着や惜しみ)なく、これをもって過に処すれば、衰にして済われざるはない。ゆえによく枯楊をして更に稊を生ぜしめ、老夫をして更に少妻を得せしむ。弱を拯い衰を興すこと、この爻より盛んなるはなし。ゆえに「利ろしからざる所なし」である。老いて過ぐれば枯れ、少(わか)くして過ぐれば稚(おさな)い。老をもって少に分かてば稚き者は長じ、稚をもって老に分かてば枯れたる者は栄える。過ぐることによりて相与するをいう。大過の至衰に対して己は至壮であり、至壮をもって至衰を輔けるは、この義に応ずるものである。

周易正義爻辞

「『象』に曰く藉用白茅」より「無不利」に至る。

正義に曰く、「枯楊生稊」とは、「枯」は枯槁をいい、「稊」は「楊の秀」をいう。九二は陽をもって陰に処し、よくその本分を過越してその衰弱を救う。上に応はなく、心に特段の執吝なく、大過の時に処して能くこの道を行えば、衰えたる者にして拯済されないものはない。ゆえに衰えたる者が更に盛んになるは、あたかも枯槁の楊が更に少壮の稊を生じ、枯老の夫がその少女を妻として得るがごとし。「無不利」とは、弱を拯い衰を興すことこれより盛んなるはなく、これをもって行えば利ろしからざる所なきをいう。

注「稊者楊之秀也」から「應斯義也」に至る。

正義に曰く、「稊」とは楊柳の穂であり、ゆえに「楊之秀也」という。「以陽處陰能過其本而救其弱」とは、もし陽をもって陽に処するならばその本分に依ることになる。いま陽をもって陰に処するは、本分を過越して陰弱を拯救することである。「老過則枯少過則稚」とは、老の太だ過ぐれば枯槁し、少の太だ過ぐれば幼稚となる。「以老分少則稚者長也」とは、老夫が老を減じて女妻に与え、女妻はこれを得て更に益々長ずるをいい、ゆえに「老を以て少に分かてば稚き者は長ず」という。「以稚分老則枯者榮」とは、女妻が少を減じて老夫に与え、老夫はこれを得て、あたかも槁たる者が更に稊を生ずることを得るがごとし。ゆえに「枯れたる者は栄ゆ」という。「大過至衰而已至壯以至壯輔至衰應斯義」というは、この大過の卦は、本より至壮が至衰を輔けることを明らかにし、至衰が至壮を減ずるを論じない。ゆえに輔嗣はこの『注』において特に「至壮を以て至衰を輔く」というのである。「『象』曰過以相與」とは、至壮によりて至衰を輔くるに因り、女妻が老夫を助くるに似るゆえ、ついに老夫が老を減じて少に与え、あたかも至衰が衰を減じて壮に与うるかのごとしという。その実はしからざるなり。

周易正義小象伝

正義に曰く、「老夫女妻」の義を釈す。もし老夫にして老妻があるならば、分に依りて相対するものである。いま老夫にして女妻を得るは、分を過越して相与するのである。老夫が女妻を得るは、女妻が少をもって老夫に与えることである。老夫が少を得て更に壮となるは、女妻が分を過越して夫に与えることである。女妻にして少夫を得るならば、分に依りて相対するものである。いま女妻が老夫を得るは、老夫が老を減じて少に与えることである。女妻はすでにその老を得れば益々長ず、これ老夫が分を過越して妻に与えることであり、ゆえに「過以相與」という。『象』がただ「老夫」「女妻」といい、「枯楊生稊」と言わないのは、「枯楊」はすなわち老夫であり、「生稊」は女妻である。その意が相似ているため、『象』は略して言わないのである。

出典