周易本義卦辞
「睽」の音は苦圭の反。
睽は乖異なり。卦となすや上は火にして下は沢、性相い違異し、中女と少女で志を同じく帰せず。ゆえに睽となす。しかるに卦徳を以て言えば内は説(よろこ)びて外は明なり。卦変を以て言えば、離より来たる者は柔進みて三に居り、中孚より来たる者は柔進みて五に居り、家人より来たる者はこれを兼ねる。卦体を以て言えば、六五は中を得て下に九二の剛に応ず。ここを以てその占いは大事に不可なれども、小事にはなお吉の道あるなり。
それぞれの暦日は一つの卦に決定論的に対応します——文王卦の順で64日を一巡する連続輪転によるものです。占わず、乱数もありません。
睽は小事に吉なり。
睽の卦は、火が上に燃え上がり沢が下に流れるように、互いの志や性質が背き離れる相違の状況を表します。大きな合一を性急に迫るのではなく、違いを認めたうえで身近な小事を着実に進めることが吉につながります。
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易経・四柱推命のリーディング依頼(eastalmanac.com より)。 Page: Daily hexagram 2026-11-16: #38 火泽睽. 二層構造で解釈してください。1)理法の根拠:卦爻の変爻や干支五行の力点と注意すべき盲点。2)実践的アドバイス:問いに対する率直な結論、動詞から始まる2〜3の具体的な行動指針と内省の要点。決定論を排し、自省と意思決定の参考にしてください。出典・詳解: https://eastalmanac.com/ja/daily-hexagram/2026-11-16/
下卦の兌金と上卦の離火が相剋する構造は、命式における金火のせめぎ合いや相反するエネルギーの緊張を連想させます。伝統的な五行推命では、火の強さを和らげて金を保護するために、調停役となる湿土の通関や適度な水の潤いが重視されます。対立する要素を力づくで抑え込むのではなく、間を取り持つ柔軟性を意識することで全体の均衡が保たれます。
ホロスコープにおけるオポジションのように、個人の意志と外部環境や対人関係との間に明確な視点の違いが生じやすい配置です。この対立は破綻を意味するものではなく、互いの自立した境界線を意識させ、創造的な緊張を生み出す契機となります。相違点を客観的に見つめることで、摩擦を独自の活力へと昇華させることができます。
離火は炎上し兌沢は潤下するため、方向性の異なる二つの力が乖離する情景が描かれています。古典的解釈では、大掛かりな合流や包括的な合意を目指すことは困難を伴うため、「小事吉」として具体的で管理可能な課題に専念することが説かれます。無理に一体化を求めず、互いの違いを前提として小さく手堅く行動することが実りをもたらします。
職場やプロジェクトにおいて、部門間の利害対立や業務方針の食い違いが表面化しやすい局面です。組織全体を巻き込む大規模な改革を急ぐと摩擦が大きくなるため、個別の実務課題や細部の調整に焦点を絞るのが賢明です。互いの立場を認めつつ現実的な妥協点を探ることで、業務を滞りなく進められます。大同小異の姿勢で小さな成果を積み重ねることが解決への近道となります。
共同事業や資産管理において、関係者間での優先順位や理念の違いから意見の食い違いが生じやすい運気です。古典的知見に基づけば、方針の定まらない大規模な共同出資は避け、個人の明確な予算管理に専念することが推奨されます。小さな収支を堅実に整え、透明性のある運用を心掛けることが資産の保全に直結します。手堅い日常の金銭管理を守ることが安全策となります。
価値観の違いや生活リズムのすれ違いから、心理的な距離や小さな誤解を感じやすい傾向があります。自分の基準を相手に押し付けようとすると孤立を深めるため、適度な自立空間を保ち、互いの個性を尊重する寛容さが求められます。無理に歩調を合わせようとせず、違いを認め合う姿勢が関係の風通しを良くします。寛大な心で互いの独自性を認めることが絆を守ります。
上部の火熱と下部の冷えが分離し、いわゆる上熱下寒や情緒の昂ぶりに伴う消化器系の乱れに留意したい時勢です。伝統養生法では、興奮を鎮めて気を落ち着かせ、体内の潤いを保つことで心身の燥熱を和らげることが勧められます。規則正しい生活習慣を維持し、心を穏やかに整えることが内なる調和を支えます。感情の起伏を穏やかに保つことが健やかさの基本です。
大象伝の「君子以て同にして異なり」が示すように、全体と協調しながらも自らの主体性と独自性を保つことが肝要です。他者と意見が合わない環境は、批判的思考力と他者への包容力を同時に磨く貴重な鍛錬の機会となります。安易に迎合せず、敵対もせず、穏やかに自己の輪郭を保つことが真の人間的成熟を促します。相違を恐れず柔軟に受け止める心が成長をもたらします。
性格、趣味、または物事の判断基準に明確な対照が見られ、些細な場面で意見が分かれやすい相性です。しかし伝統的な相性観では、この相違を優劣ではなく個性として認め合えるなら、互いの死角を補い合う強力な補完関係になり得るとされます。無理に同一化を求めず、互いの違いを尊重することが長続きの秘訣となります。個性の違いを受け入れることが豊かな関係を築く鍵です。
人間関係や取り巻く環境に多様な思惑が交錯し、足並みを揃えにくい周期に入っています。この時期は全体を巻き込む大規模な結盟よりも、個人の専門性を磨き、身近で確実な実務を地道にこなすことに適しています。周囲との無益な衝突を避け、独立独歩で着実に歩みを進めることが安定をもたらします。地道な自己研鑽に徹することが運気を堅実に保ちます。
年間を通じて周囲との見解の相違や協力体制の調整に直面しやすく、忍耐強い対話が試される一年となります。前半は具体的で小さな実務を着実に片付けることに専念し、後半に向けて共通の基盤を徐々に築いていく段階的な進め方が功を奏します。意見の不一致に動揺せず柔軟に対処することで、実りある一年を過ごせます。焦らず着実な歩みを続けることが好結果を生みます。
命名の視点では、離火と兌金の相剋を和らげるため、調和、包容、柔軟性、あるいは土や水の潤いを感じさせる温和な字義が適しています。尖鋭で対立を煽るような響きを避け、穏やかに他者を受け入れる広やかさを持つ文字を選ぶことが好ましいとされます。温かみのある調和のとれた名付けが、人間関係の摩擦を和らげる助けとなります。
重要な提携の合意、合弁事業の開始、大規模な調印式など、完全な一致を要する行事には慎重を期すべき日取りです。一方で、既存の対立の調停、専門的な研究、個人の事務処理など、個別具体的な実務を片付けるには適した日柄です。大風呂敷を広げず、限定された目的のために日を選ぶことが円滑な進行をもたらします。身近で細やかな用件に日を充てることが無難です。
上卦が火、下卦が沢という構造は、空間における冷暖の不均衡や気流の衝突を象徴します。伝統的風水では、火と金の衝突を緩和するために、温かみのある陶器やアースカラーを取り入れて空間の調停を図ることが推奨されます。激しい動線を和らげ、落ち着きのある素材を配置することで、室内の緊張感をほぐすことができます。住まいに柔らかな要素を取り入れることが安らぎを保ちます。
睽は、火動きて上り、澤動きて下る。二女同居すれども、其の志は同じく行われず。説びて明に麗き、柔進みて上行し、得中して剛に応ず。是を以て小事は吉なり。天地は睽きて其の事は同じく、男女は睽きて其の志は通じ、万物は睽きて其の事は類す。睽の時用は大なるかな。
上は火、下は澤なるは睽なり。君子以て同にして異にす。
周易本義卦辞
「睽」の音は苦圭の反。
睽は乖異なり。卦となすや上は火にして下は沢、性相い違異し、中女と少女で志を同じく帰せず。ゆえに睽となす。しかるに卦徳を以て言えば内は説(よろこ)びて外は明なり。卦変を以て言えば、離より来たる者は柔進みて三に居り、中孚より来たる者は柔進みて五に居り、家人より来たる者はこれを兼ねる。卦体を以て言えば、六五は中を得て下に九二の剛に応ず。ここを以てその占いは大事に不可なれども、小事にはなお吉の道あるなり。
周易本義彖伝
上と下はともに上声、下も同じ。
卦象を以て卦名の義を釈す。説の音は悦。
卦徳・卦変・卦体を以て卦辞を釈す。極めてその理を言い、これを賛ず。
周易本義大象伝
二卦合体して性は同じからず。
伊川易伝大象伝
睽の序卦に「家道窮まれば必ず睽(そむ)く。故にこれを受くるに睽を以てす。睽とは乖(そむ)くなり」とある。家道が窮まればすなわち睽乖離散するは理の必然である。ゆえに家人ののちにこれを受くるに睽を以てするのである。卦となすや上は離、下は兌である。離火は炎上し、兌沢は潤下す。二体相い違い背くは睽の義である。また中女・少女の二女は、同居すといえども嫁ぎ帰する所がおのおの異なり、これその志を同じく行わざるなり。これもまた睽の義となる。睽は小事に吉なり。睽とは睽乖離散の時であり、吉の道ではない。卦才の善なるを以て、睽の時に処すといえども小事には吉なのである。
彖に曰く、睽は火動きて上り、沢動きて下る。二女同居してその志同じく行われず。彖はまず睽の義を釈し、次に卦才を言い、終わりに睽を合する道を言いてその時用の大なるを賛ず。火の性は動きて上り、沢の性は動きて下る。二物の性は違い異なり、ゆえに睽の義となす。中少の二女は同居すといえども、その志同じく行われざるもまた睽の義となす。女の若きときは同処するが、長ずればおのおのその帰する所に適き、その志は異なるのである。睽と言うは本来同じきを言うのであり、本より同じからざるならば睽とは言わない。
説びて明に麗き、柔進みて上行し、中を得て剛に応ず。ここを以て小事に吉なり。卦才が是の如し、ゆえに小事に吉なのである。兌は説(よろこ)びなり、離は麗(つ)くなり、また明となす。ゆえに説び順いて明に附麗するとなす。およそ離が上に在りて、彖が柔の尊位に居ることを顕わさんと欲するときは、すなわち「柔進みて上行す」という。晋や鼎が是である。まさに睽乖の時にあたり、六五は柔を以て尊位に居り、説順麗明の善あり、また中道を得て剛に応ず。天下の睽を合わせ天下の大事を成すことは能わざるも、また以て小しく救済することはでき、これ小事には吉たる所以である。五は明を以て剛に応ずるに、大吉を致す能わざるは何ぞや。曰く、五は陰柔にして二に応ずといえども、睽の時にあたり相い与にする道がいまだ深固ならず。ゆえに二は必ず主と巷に遭い、五は膚を噬(か)みてすなわち咎なきなり。天下睽散の時は、必ず君臣剛陽中正にして至誠協心力を用いてのちに合することができるのである。
天地睽きてその事同じく、男女睽きてその志通じ、万物睽きてその事類す。睽の時用大なるかな。
物理の同じきを推して以て睽の時用を明かすは、すなわち聖人が睽を合する道である。同じきを見て同じとなすは世俗の知である。聖人は物理の本より同じきを明らかにし、天下を同じうして万類を和合し得る所以である。天地・男女・万物を以てこれを明かす。天は高く地は低くその体は睽く。しかれども陽が降り陰が昇りて相い合し化育を成すの事は同じである。男女は質を異にして睽く。しかれども相い求めるの志は通ずるのである。生物は万に異なりて睽く。しかれども天地の和を得て陰陽の気を禀くることは相い類する。物は異なるといえども理は本より同じ。ゆえに天下の大、群生の衆、睽散万殊にして聖人は能くこれを同じうす。睽の時に処し睽を合するの用、その事は至大なり。ゆえに「大なるかな」と云うのである。
而異 上は火、下は沢、二物の性は違異す。ゆえに睽離の象となす。君子は睽異の象を大同のなかに観て、当に異なるべき所を知るのである。聖賢の世に処するや、人の理の常においては世俗と大同ならざるはなし。世俗と同じき者の中において、時に独り異なることがある。けだし秉彝においては同なれども、世俗の過失においては異なるのである。天に同じくすること能わざる者は、常を乱し理に違背する人である。独り異なること能わざる者は、俗に随い非を習う人である。要は同じくして能く異なるにあるのみ。中庸に「和して流せず」とあるは是である。
周易注彖伝
事がみな相い違背するは害の道である。何に由りて小事吉を得るのか。この三徳があるを以てである。睽離の時は、小人の能く用いる所にあらず。
周易注大象伝
通理においては同じくし、職事においては異ならしむ。
周易正義卦辞
正義に曰く、「睽」とは乖異の名であり、物情が乖異すれば大事をなすべからず。大事とは役を起こし衆を動かすをいい、必ず大同の世にして始めてこれをなすべし。小事とは飲食衣服の如き、衆力を待たず乖くといえどもなし得るものをいう。ゆえに「小事吉」と曰うのである。
周易正義彖伝
「彖に曰く、睽は動きて上り」から「小事吉なり」に至るまで。
正義に曰く、「睽は火動きて上り、沢動きて下る。二女同居してその志同じく行われず」とは、二体につき卦名を「睽」となす義を釈し、同にして異なるとするものである。水と火の二物は共に烹飪を成すもので、理において相い救済すべきである。今、火は上に在りて炎上し、沢は下に居りて潤下し、相い成すの道なく、これ乖く所以である。中女・少女の二女は一家に共居し理において志を同じくすべきであるが、おのおの嫁ぎ出て志を同じく行わず、これ異なる所以である。「説びて明に麗き、柔進みて上行し、中を得て剛に応ず、ここを以て小事に吉なり」とは、二体および六五に応あるにつき小事の吉を得る所以を釈している。「説びて明に麗く」は邪僻をなさず、「柔進みて上行す」は之く所が貴にあり、「中を得て剛に応ず」は全弱にあらず。乖違の時に在りといえども、卦爻にこの三徳があるゆえに小事を行いて吉を獲ることができるのである。「天地睽きてその事同じく」から「時用大なるかな」に至るまで。
正義に曰く、「天地睽きてその事同じく」とは、これ以下、天地・男女・万物について歴歴と睽の義の体は乖きて用は合することを広く明らかにするものである。天は高く地は低くその体は懸隔す、これ「天地睽く」である。而して品物を生成するその事は同じである。「男女睽きてその志通ず」とは、男は外、女は内、分位に別あり、これ男女の睽くである。而して家を成し事を治むるその志は通ず。「万物睽きてその事類す」とは、万物形を異にして各自象をなす、これ「万物睽く」である。而して生長を均しくするその事は類する。ゆえに「天地睽きてその事同じく、男女睽きてその志通じ、万物睽きてその事類す。睽の時用大なるかな」と曰うのである。すでに睽の理の合同の大なるを明かし、また能く睽を用いる人の徳の小さからざるを嘆ず。睽離の時にその用を建ててその通理に合わしむるは、大徳の人にあらざれば不可なり。ゆえに「睽の時用大なるかな」と曰うのである。
周易正義大象伝
正義に曰く、「上火下沢は睽なり」とは、動きて相い背く、ゆえに「睽」となす。「君子以て同にして異す」とは、王を佐けて民を治むるその意は同じく、おのおの司るところありて職掌は異なり、ゆえに「君子以て同にして異す」と曰うのである。