周易本義爻辞
缶は俯九の反。他は湯何の反。
比の初めは信あるを貴ぶ。しからばすなわちもって咎なかるべし。もしそれ充実すれば、また他の吉あるなり。柔順中正にして上は九五に応じ、内より外に比してその貞吉の道を得る。占う者かくのごとくなれば、正にして吉である。
第1爻
初六:孚有りてこれに比す、咎無し。孚有りて缶に盈つ、終に来たりて它有り、吉。
比の初六は、人と結びつく始まりにおいて、純朴な誠実さと飾らない信頼を重んじるべき時を示しています。質素な素焼きの器に誠意を満たすように接することで、予期せぬ幸運と良き導きに恵まれやすくなります。
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易経・四柱推命のリーディング依頼(eastalmanac.com より)。 Page: Hexagram 8 比 — 第1爻. 二層構造で解釈してください。1)理法の根拠:卦爻の変爻や干支五行の力点と注意すべき盲点。2)実践的アドバイス:問いに対する率直な結論、動詞から始まる2〜3の具体的な行動指針と内省の要点。決定論を排し、自省と意思決定の参考にしてください。出典・詳解: https://eastalmanac.com/ja/yijing/8/1
初六は最下位にあり陰柔ですが、純真無垢な誠意を抱いて上に親しむ姿勢を象徴しています。爻辞が素焼きの器を例えるように、見栄や打算を捨てた真実の心こそが思いがけない幸運を引き寄せるとされます。小細工に頼らずありのままの誠意を尽くすことが、周囲の警戒を解き確かな信頼へと結びつきます。
新たな環境や業務の立ち上げ期においては、派手な演出よりも着実で実直な姿勢が最大の武器となります。実績や立場が未熟であっても、誠実な約束の履行と細やかな気配りが周囲からの確固たる信用を築いていきます。地道に誠意を尽くして取り組むことで、やがて予想もしなかった引き立てや好機に恵まれます。
出会いの初期や関係の始まりにおいて、駆け引きや過度な装飾は不要であり、純粋な真心こそが心を動かします。素朴ながらも相手を大切に思う気持ちは自然と伝わり、互いの心の距離を穏やかに縮めていきます。飾らない素の自分を見せて素直に向き合うことが、温かな愛情を育む第一歩となります。
財運の基礎を築く時期であり、投機的な甘い話に惑わされず小さな信用をコツコツ積み重ねることが肝要です。伝統的な解釈では、嘘偽りのない誠実な取引を続けることで、後から予期せぬ利益や心強い協力者がもたらされると説かれます。目先の利益よりも誠実な信用を守り抜く姿勢が、将来の大きな実りへとつながります。
これに比するの初六は、它有りて吉なるなり。
周易本義爻辞
缶は俯九の反。他は湯何の反。
比の初めは信あるを貴ぶ。しからばすなわちもって咎なかるべし。もしそれ充実すれば、また他の吉あるなり。柔順中正にして上は九五に応じ、内より外に比してその貞吉の道を得る。占う者かくのごとくなれば、正にして吉である。
伊川易伝爻辞
孚あり缶に盈つ、終に来たりて他の吉あり。誠信が内に充実することは、物が缶の中に盈ち溢れるかのごとし。缶は質素の器である。缶のその中を充溢させ、外に文飾を加えないようなもので、終には能く他の吉を招き寄せることを言う。他とはこれに非ざるもの、外である。もし誠実が内に充つれば、物は信ぜざるなし。あに外を飾ってもって比を求めんや。誠信が中に充実すれば、他の外といえどもみな感応して来たり従う。孚信は比の根本である。象に曰く、比の初六は、他の吉あるなり。
比の初六を言うのは、比の道は始めにあるからである。始めに能く孚あれば、終には他の吉を致す。その始め不誠なれば、終わりにいずくんぞ吉を得んや。上六の凶は首なきによるのである。
周易注爻辞
比の始めに処り、比の首となる者である。不信をもって比の首となさば、禍はこれより大なるはなし。ゆえに必ず「孚ありて缶に盈つ」にして、然る後に比の咎を免るるを得る。ゆえに「孚ありてこれに比す、咎なし」というのである。比の首に処りて、応は一に在らず、心に私吝なければ、比せざる者なし。信を著わし誠を立て、質素の器に盈ち溢るれば、物は終に来たりて衰竭することなからん。天下に親しみ、信を著わして缶に盈たば、応ずる者はあに一筋の道より来たらんや。ゆえに必ず「他の吉あり」というのである。
周易正義爻辞
「初六有孚」より「有他吉」に至る。
正義に曰く、「孚ありてこれに比すれば咎なし」とは、比の始めに処り、比の首となるに、もし誠信なくんば、禍はこれより大なるはなし。必ず誠信ありて相親比し、終始一のごとく誠信をなしてこそ、咎なきを得るのである。「孚ありて缶に盈ち、終に来たりて他の吉あり」とは、身は比の首に処り、応は一に在らず、心に私吝なければ、比せざる者なし。この孚信ありて質素の缶に盈ち溢れ、これをもって物を待てば、物はみな帰向し、始めより終わりに至るまで、尋常にして恒に来たり、ただ一人にとどまらず、さらに他人も並び来たりて吉を得る。ゆえに「終に来たりて他の吉あり」という。これは外象を借りて人事を喩えたものである。
注の「応不在一,心無私吝」。
正義に曰く、「応は一に在らず」とは、初六に応爻はなく、これ「応は一に在らず」であり、ゆえに「心に私吝なし」である。もし心に偏応あれば、すなわち私に愛吝あり。「応は一に在らず」をもってのゆえに、「心に私吝なし」なのである。