East Almanac
日本語

31. 泽山咸 (咸)

第6爻

この爻が動けば に変じる 33. 天山遁 (遁)
上六:その輔・頬・舌に感ず。

現代解釈

上六は咸の卦の極みに位置し、心の通い合いが頬や舌先だけの表面的な言葉に留まりがちな状態を示します。伝統的な易学では、誠意を欠いた軽々しい口先だけの関わりへの戒めと解釈されます。

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プロンプトプレビュー
易経・四柱推命のリーディング依頼(eastalmanac.com より)。
Page: Hexagram 31 咸 — 第6爻.
二層構造で解釈してください。1)理法の根拠:卦爻の変爻や干支五行の力点と注意すべき盲点。2)実践的アドバイス:問いに対する率直な結論、動詞から始まる2〜3の具体的な行動指針と内省の要点。決定論を排し、自省と意思決定の参考にしてください。出典・詳解:
https://eastalmanac.com/ja/yijing/31/6

易の占い

易占の象徴において上六は言葉を司る兌の頂点にあり、実質的な真心が伴わないまま弁舌だけが空回りする危うさを表します。小象伝にいう「口先でまくし立てる」姿は、行動や情熱が追いつかない形式的な伝達を浮き彫りにしています。率直に言えば、口先だけの美辞麗句で人の心を動かすことは難しく、実のある姿勢を示すことが不可欠です。

仕事・キャリア

業務報告や交渉の場において、実現性の乏しい大風呂敷を広げたり過度なアピールに終始したりすると、周囲からの信頼を損なう恐れがあります。表面的なプレゼンテーションだけで中身が伴わなければ、実行段階で厳しい現実に直面することになります。要するに、耳触りのよい約束よりも、着実な成果と具体的な裏付けをもって語ることが信用の基盤となります。

恋愛・対人

甘い言葉や口先だけの約束を重ねても、日々の思いやりや具体的な行動が伴わなければ関係は形骸化してしまいます。言葉と現実のギャップが積み重なると、相手に空虚感や不信感を抱かせ、心理的な距離が広がりかねません。平たく言えば、雄弁に愛を語るよりも身近な小さな行動で誠意を示すことこそが絆を深めます。

金運

金銭取引や契約交渉においては、うますぎる口頭の説明や華美なセールストークに惑わされない警戒心が求められます。之卦の遁が示すように、実態の不透明な誘いからは冷静に身を引く分別が資産を守る盾となります。端的に言えば、甘い言葉を鵜呑みにせず、客観的な書面や契約条項を厳密に確認することが肝要です。

参考資料

原文

小象伝

その輔・頬・舌に感ずとは、口を滕げて説くなり。

古典注釈

周易本義爻辞

頬は古・協の反である。輔(上あご)・頬・舌はみな言葉を言うためのものであり、身の上に在る。上六は陰をもって説びの終わりに居り、泽山咸の極みに処して、言葉をもって人を感ぜしめながら実がない。また兌は口舌である。ゆえにその象はこのようであり、凶咎は知るべきである。滕と騰は通用する。

伊川易伝爻辞

上六は陰柔にして説の体であり、説の主である。また感応の極みに居り、これは物を感ぜしめんと欲することの極みである。ゆえに至誠をもって物を感ずることができず、口舌の間に発見(あらわ)れるのは、小人や女子の常態である。どうして人を動かすことができようか。直ちに口と言わずに「輔・頬・舌」と言うのも、あたかも今の人が口の過失を「唇吻」と言い「頬舌」と言うがごとしである。輔・頬・舌はみな用いて言をなす所以のものである。象に曰く、其の輔頬舌に咸ずとは、口説を滕(の)べるなり。

ただ至誠のみがよく人を感ずることができるのに、柔説をもって口舌に騰揚して言葉で説くばかりでは、どうして人を感ずることができようか。

周易注爻辞

咸の道は転じて末となるゆえに、口舌の言語に在るのみである。

周易注小象伝

「輔・頬・舌」とは、言葉を為す具である。「其の輔頬舌に咸ず」とは、「口説を滕べる」ことである。「憧憧として往来す」ることでさえなお未だ光大ではないのに、いわんや口舌を騰べるにあるをや、薄きこと知るべきである。

周易正義爻辞

正義に曰く、「其の輔頬舌に咸ず」とは、馬融は「輔は上頤(あご)なり」と言う。「輔・頬・舌」とは言語の具である。咸の道は転じて末となり、口舌の言語に在るのみである。ゆえに「其の輔頬舌に咸ず」と言うのである。

周易正義小象伝

正義に曰く、「口説を滕ぶるなり」とは、旧説では字を「滕」とし、徒・登の反である。滕は競い与(おこ)すことである。競うところは口であり、重ねて心の実はなし。ゆえに「口説を滕ぶ」と言うのである。鄭玄はまた「媵」に作る。媵は送るである。咸の道は極めて薄く、いたずらに口舌の言語を送って相感ぜしめるのみであって、重ねてその間に志あることなし。王弼の注の義は両方に通じるが、いずれがその旨と同じであるかは未だ知れぬ。

出典