East Almanac
日本語

31. 泽山咸 (咸)

第5爻

この爻が動けば に変じる 62. 雷山小過 (小过)
九五:その脢に感ず。悔いなし。

現代解釈

九五は背肉に感応が生じる段階を示し、感情の波に動じることなく深沈とした静けさを保つ境地を表します。伝統的な解釈では、軽薄な刺激に反応しない高い定力によって過ちを未然に防ぎ、悔いを残さないと評価されます。

AIにこのページを聞いてみる

リンクはプロンプトを事前入力するだけで送信しません — 主導権はあなたに。リンクが効かない場合は下のプロンプトをコピーしてください。

プロンプトプレビュー
易経・四柱推命のリーディング依頼(eastalmanac.com より)。
Page: Hexagram 31 咸 — 第5爻.
二層構造で解釈してください。1)理法の根拠:卦爻の変爻や干支五行の力点と注意すべき盲点。2)実践的アドバイス:問いに対する率直な結論、動詞から始まる2〜3の具体的な行動指針と内省の要点。決定論を排し、自省と意思決定の参考にしてください。出典・詳解:
https://eastalmanac.com/ja/yijing/31/5

易の占い

九五は上卦の中正を占める尊位にあり、背中は感情の動揺が見えにくい部位であることから、外物に揺るがされない揺るぎなさを意味します。『小象伝』は「志末なり」と評して感応の広がりが表面的には狭く見える側面を指摘しますが、妄動を排した不動の徳は無悔の境地をもたらします。要するに、周囲の喧騒に動じず泰然と構えていることで、無用な過ちを遠ざけることができます。

仕事・キャリア

組織の中核や指導的立場において、外部の雑音や一時的な混乱に惑わされず、確固たる信念のもとで統率力を発揮できる時期です。派手なアピールや即興の変更を避け、定めた方針を重厚に推し進める姿勢が、結果として組織の安定と高い信頼を生みます。要するに、目先の騒ぎに一喜一憂せず、落ち着いて腰を据えて職責を果たすことが成果につながります。

恋愛・対人

言葉巧みな愛情表現や過剰な演出はないものの、内面に深い誠実さと確固たる責任感を秘めた関係性を象徴します。一見すると淡白あるいは不器用に見える場面があっても、その根底にある落ち着いた結びつきは揺らぎません。要するに、表面的な甘さよりも静かで誠実な支え合いを信じることが、確かな絆を育てます。

金運

市場の熱狂や浮ついた流行から一歩距離を置き、堅実な本質価値を見極める安定志向の姿勢が適している配置です。変卦の小過が示すように、過度な背伸びや派手な拡張を避け、手堅く守りを固める運用こそが資産の安全を支えます。要するに、一攫千金を狙うような誘惑に目もくれず、確実性の高い守りの姿勢を貫くのが最善です。

参考資料

原文

小象伝

その脢に感ずとは、志の末なるなり。

古典注釈

周易本義爻辞

脢は武・杯の反、また音は毎である。脢は背の肉であり、心の上に在って心と相背き、物を感ずることあたわずして私係がない。九五はちょうどその処に当たっている。ゆえにその象を取り、占う者に戒めて、よくこのようであるならば、物を感ずることができないといえどもまた以て悔いなきを得るのである。

周易本義小象伝

志末とは、物を感ずることができないことを言う。

伊川易伝爻辞

九五は尊位に居り、まさに至誠をもって天下を感応させ、六二に応じ上六に比すべきである。もし六二に係り上六を説ぶならば、偏私にして浅狭であり、人君の道ではない。どうして天下を感応させることができようか。脢は背の肉であり、心と相背きて見ざるところのものである。よくその私心を背き、見るところにして説ぶ者に感ぜざれば、人君が天下を感応させる正しきを得て悔いなきことを言うのである。

伊川易伝小象伝

その心を背かせて脢に感ぜしめるよう戒めるのは、その存心が浅末にして、六二に係り上六を説び、私欲に感ずるからである。

周易注爻辞

「脢」とは、心の上、口の下であり、進みては大いに感ずることができず、退きては志なき者ともならない。その志は浅末である。ゆえに「悔いなし」とするのみである。

周易正義爻辞

「九五」から「悔いなし」まで。

正義に曰く、「其の脢に咸ず、悔いなし」とは、「脢」は心の上、口の下である。四はすでに体の中に居り、心神の感ずるところとなり、五は進みて四の上に在るゆえに感ずるところは脢にある。脢はすでに心を過ぎているゆえに「進みては大いに感ずること能わず」、なお心の上に在るによるゆえに「退きてもまた志なきにあらず」、志は浅末に在る。ゆえに「悔いなし」とするのみであり、それゆえ「其の脢に咸ず、悔いなし」という。

注「脢は心の上口の下なり」。

正義に曰く、「脢は心の上口の下なり」とは、子夏の『易伝』に「脊に在るを脢と曰う」とある。馬融は「脢は背なり」と言い、鄭玄は「脢は脊肉なり」と言い、王粛は「脢は背に在りて脊を挟む」と言い、『説文解字』には「脢は背肉なり」とある。諸説は同じからずといえども、大体はみな心の上に在る。輔嗣(王弼)は四をもって心神とし、上をもって輔頬とし、五は上と四の間に在るゆえに、ただ「心の上、口の下」と言うのである。その心神より浅く、言語より厚きを明らかにしている。

周易正義小象伝

正義に曰く、「志末なり」とは、末は浅きのごとしである。感応は心をもって深しとするが、心を過ぎればこれを浅末というのである。

一撮金爻辞

九五の五爻は下中なり。事終わりて物未だ終わらず、人円くして物未だ円からず。端的なる信を知らんと要せば、月影の欄干に上るを待て。

出典