周易本義爻辞
九五は坎中に在りといえども、陽剛中正をもって尊位に居り、時もまた将に出でんとする。ゆえにその象占がかくの如くである。
第5爻
九五:坎盈たず、禔らにして既に平らぐ。咎なし。
坎卦の九五は陽剛にして中正の尊位にあり、険難の水が溢れ出ることなく平らかに収まる安定の境地を示します。古典の解釈では、危機が完全に消滅したわけではないものの、節度ある制御によって均衡が保たれ咎めはないとされます。
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易経・四柱推命のリーディング依頼(eastalmanac.com より)。 Page: Hexagram 29 坎 — 第5爻. 二層構造で解釈してください。1)理法の根拠:卦爻の変爻や干支五行の力点と注意すべき盲点。2)実践的アドバイス:問いに対する率直な結論、動詞から始まる2〜3の具体的な行動指針と内省の要点。決定論を排し、自省と意思決定の参考にしてください。出典・詳解: https://eastalmanac.com/ja/yijing/29/5
九五は上卦の中正を得て険難を統御する主爻であり、地水師へと変じる象を持ちます。伝統的な注釈では「坎盈たず、禔に既に平らかなり」とは水害が堤防を越えずに水位が整う状態を指し、事態が制御可能な均衡へ着地したことを意味します。大勝を焦って無理に拡大せず、現在の安定を盤石に守ることが無咎の要諦とされます。過剰な欲を出さず、手中に収めた調和と秩序を確実に維持することが肝要です。
度重なる波乱や組織の混乱が適切な采配によって収拾され、業務の運行に落ち着きが戻りつつあります。根本的な課題がすべて片付いたわけではありませんが、中正を得たリーダーシップが機能し、破綻の連鎖はしっかりと食い止められています。古典の視点では、性急な事業拡大よりも現状の手続きや基盤を固める管理姿勢が推奨されます。いまは戦線を広げず、確立した平穏な運用を着実に継続してください。
感情の激しい衝突や不安の嵐が次第に鎮まり、互いに現実的な落としどころを見出せる時期に入っています。水が溢れずに平らかになる象は、相手への過度な要求を取り下げ、等身大の歩み寄りが成立したことを暗示します。先儒の説では、無理な自己主張を控えて穏やかな日常を積み重ねることが絆を深めるとされています。劇的な展開を追い求めず、静かな思いやりで日々の関係を温めていくのが賢明です。
資金繰りや収支の悪化要因に歯止めがかかり、財政状態は徐々に均衡を取り戻しています。変卦が規律を重んじる師卦であることから、感情的な投資や安易な出費を排し、厳格な予算管理を徹底することが求められます。伝統的な見立てによれば、損失の拡大を防いで現状を安定させること自体が最大の収穫と位置づけられます。守りを固めた健全な管理を続けることで、自然と蓄えの余力が戻ってきます。
坎盈たずとは、中未だ大ならざるなり。
周易本義爻辞
九五は坎中に在りといえども、陽剛中正をもって尊位に居り、時もまた将に出でんとする。ゆえにその象占がかくの如くである。
周易本義小象伝
中徳あれどもいまだ大ならず。
伊川易伝爻辞
九五は坎の中に在り、これ盈たざるなり。盈つれば溢れて出づる。「祗」の音は柢(てい)に宜しく、抵(いた)るなり。復卦に「祗悔なからん」といい、必ず己に抵る。平らかなれば咎なし。すでに盈たずというは、これ未だ平らかならずしてなお険の中に在り、いまだ咎なきを得ざるなり。九五の剛中の才をもって尊位に居れば、宜しくもって険を済うべし。然れども下に助けなし。二は険の中に陥りていまだ出づる能わず、余はみな陰柔にして険を済う才なし。人君は才ありといえども、安んぞ独り天下の険を済う能わんや。君位に居りて天下をして険を出づるを致す能わざれば咎ありとなす。必ず平らかに抵(いた)りて乃ち咎なきを得るのである。
伊川易伝小象伝
九五は剛中の才にして尊位を得、まさに天下の険難を済うべきに、坎はいまだ盈たず、乃ちいまだ険難を平らかにする能わざるは、これその剛中の道がいまだ光大ならざるなり。険難の時、君臣協心戮力にあらざればそれ能く済わんや。五の道がいまだ大ならざるは臣なきをもってなり。人君の道として天下の険難を済う能わざるは未大となし、その位に称(かな)わざるなり。
周易注爻辞
坎の主たるも自ら佐くるに足る応輔なく、いまだ坎を満たす能わざる者である。坎が満たざれば険は尽きない。「祗」は辞である。坎の主たる者は、ことごとく平らかにして乃ち咎なし。ゆえに「祗だ既に平らかなれば咎なし」という。すでに平らかにして乃ち咎なしと説くは、九五がいまだ咎を免れざるを明らかにするのである。
周易正義爻辞
正義に曰く、「坎不盈」とは、坎の主たりて自ら佐くる応輔なく、険難いまだ坎に盈つる能わざるは、なお険難のいまだ尽きざるがごとし。ゆえに「坎不盈」という。「祗既平無咎」とは、祗は辞であり、険難がすでに盈満して平らぐを得て乃ち「咎なし」となるをいう。もし坎がいまだ盈平ならざれば、なお咎がある。
周易正義小象伝
正義に曰く、「坎不盈」の義を釈す。復た中に居るといえどもその応なく、光大なるを得ず、ここをもって坎がいまだ盈満せざるのである。