周易本義爻辞
馮の音は憑。九二は剛をもって柔に居り、下の中央に在りて、上には六五の応あり。泰を主として中道を得る者である。占う者が荒穢を包容し、果断にして剛決、遐遠を遺さずして朋比に昵しまなければ、この爻の中行の道に合致する。
第2爻
九二:荒を包れ、用て河を馮り、遐きを遺れず、朋を亡う。中行に尚うるを得。
九二は乾の中位にあって至尊の六五と応じ、広大な度量と中庸の徳をもって物事を公正に導く段階を表します。偏った派閥や私情にとらわれず、困難を包容して堂々と進むことで大きな信頼を得られます。
AIにこのページを聞いてみる
リンクはプロンプトを事前入力するだけで送信しません — 主導権はあなたに。リンクが効かない場合は下のプロンプトをコピーしてください。
易経・四柱推命のリーディング依頼(eastalmanac.com より)。 Page: Hexagram 11 泰 — 第2爻. 二層構造で解釈してください。1)理法の根拠:卦爻の変爻や干支五行の力点と注意すべき盲点。2)実践的アドバイス:問いに対する率直な結論、動詞から始まる2〜3の具体的な行動指針と内省の要点。決定論を排し、自省と意思決定の参考にしてください。出典・詳解: https://eastalmanac.com/ja/yijing/11/2
九二は剛健の中庸を得て上位の六五と親しく応じ、大いなる包容力と決断力を兼ね備えた状態を示しています。伝統的な解釈では「荒を包れ、用て河を馮り、遐きを遺れず、朋亡び、中行に尚えらるるを得」と説かれ、不完全なものを受け入れ、私的な党派に偏らず公明正大に進む姿勢が高く評価されます。内面の信念を保ちながらも偏狭さを捨て、全体を見渡す行動が求められます。私利私欲を離れて中正の道を歩むことで、困難な状況も自然と克服へと向かいます。
組織の要として多種多様な意見や厄介な課題を調整する重責を担う局面です。特定の内輪にとらわれず、現場から離れた意見にも公平に耳を傾ける中立的なリーダーシップが周囲の深い信望を集めます。果断にリスクを引き受けつつも、冷静かつ客観的な判断を保ち続けることが突破口を開きます。
相手の短所や価値観の違いを大らかな心で受け止め、成熟した関係性を築くのに適した時です。友人関係や周囲の雑音に左右されず、二人の間で誠実に向き合うことが深い絆を育てます。寛容な理解力と公平な態度をもって接することが、長期的な信頼関係の礎となります。
目先の相場変動や偏った噂話に惑わされず、大局的な視点に基づいた資産管理が功を奏します。知人からの安易な勧誘や閉鎖的な投資話には距離を置き、客観的な情報をもとに冷静な判断を下すことが肝要です。広く健全な視野を持ち、中道を行く堅実な運用を心がけることが財の保全に直結します。
荒を包れ、中行に尚うるを得とは、以て光大なるなり。
周易本義爻辞
馮の音は憑。九二は剛をもって柔に居り、下の中央に在りて、上には六五の応あり。泰を主として中道を得る者である。占う者が荒穢を包容し、果断にして剛決、遐遠を遺さずして朋比に昵しまなければ、この爻の中行の道に合致する。
伊川易伝爻辞
二は陽剛をもって得中し、上は五に応ずる。五は柔順をもって得中し、下は二に応ずる。君臣徳を同じくす。ここをもって剛中の才は上より専任される。ゆえに二は臣位に居るといえども泰を治むるを主とする者である。いわゆる上下交わりてその志を同じくするということである。ゆえに泰を治むる道は二を主として言う。「包荒」「用馮河」「不遐遺」「朋亡」の四者は、泰に処する道である。人情が安肆に流れれば政は舒緩となり、法度は廃弛して庶事は節を失う。これを治むる道は、必ず荒穢を包含する器量があれば、その施すところは寛裕詳密にして事を改め理を正し、人々はこれに安んずる。もし含容の度なく忿疾の心があれば、深遠の慮なく暴擾の患いありて、深き弊害が去らぬうちに近き患いがすでに生じてしまう。ゆえに包荒に在るのである。「用馮河」とは、泰寧の世において人情が久安に慣れ、守常に安んじ、因循に怠り、変革を憚るため、河を馮って渡る勇がなければ、この時にあって有為たり得ないことを言う。馮河とは、その剛果にして深くを済り険を越えるに足ることを言う。古より治泰の世は必ず漸く衰替に至るが、およそ安逸因循に狎れ親しむがゆえである。剛断の君、英烈の輔佐でなければ、特立奮発してその弊を革めることはできない。ゆえに「用馮河」と言う。あるいは疑う者があり、上に「包荒」と言うのは包含寛容であり、ここに「用馮河」と言うのは奮発改革であって相反するかのようであるが、含容の量をもって剛果の用を施すことこそ聖賢の所為であることを知らぬのである。「不遐遺」とは、泰寧の時、人心が泰に狎れれば、苟も安逸に安んずるのみで、どうしてまた深思遠慮して遐遠の事に及ぶことができようか。泰を治むる者はまさに庶事に周く及び、遐遠といえども遺すべからず。事の微隠なるものや、賢才の僻陋に在るものは、みな遐遠なる者である。時が泰平なれば固よりこれらを遺しがちである。「朋亡」とは、時すでに泰平なれば人は安きに狎れ、その情はほしいままにして節を失う。まさにこれを引き締めて正そうとするなら、その朋党の私を絶ち去らなければなし得ない。ゆえに「朋亡」と言う。古より法を立て事を制するに、人情に牽かれてついに断行できぬ者が多かった。贅沢を禁ずれば近親を害し、田産を限れば貴家に妨げとなるがごとき類であり、すでに大公をもって断じ必行することができぬのは、すなわち朋比に牽かれるからである。泰を治むるに朋亡をよくせねば、これをなすは困難である。泰を治むる道にこの四者があれば、九二の徳に合することができる。ゆえに「中行に尚わるを得」と言う。よく中行の義に配合することを言っているのである。尚とは配である。
伊川易伝小象伝
象は「包荒」の一句を挙げて、通じて四者の義を解している。かくのごとくあれば中行の徳に配合することができ、その道は光明にして顕大となることを言っている。
周易注爻辞
体は健にして中央に居りて泰を用い、よく荒穢を包含し、馮河を受け納る者である。心を用うること弘大にして、遠く棄つるところなし。ゆえに「遐遺せず」と言う。私なく偏りなく、光大に存す。ゆえに「朋亡ぶ」と言う。かくのごとくしてすなわち「中行に尚わるを得」べし。尚とは配合の義である。「中行」とは五を指す。
周易正義爻辞
正義に曰く、「包荒用馮河」とは、体は健にして中央に居り、泰を用い、荒穢の物を包含することができるため「荒を包ぬ」と言う。「用馮河」とは、舟なくして水を渡り、河を馮陵する頑愚の人であるが、この九二はよく包含容受するため「馮河を用う」と言う。「不遐遺」とは、遐は遠きこと、遺は棄つることである。心を用うること弘大にして、物に疏遠棄遺するところがない。「朋亡」とは、中を得て偏りなく、在るところみな容れ、朋党の事に私がないことである。「亡は無なり」、ゆえに「朋亡ぶ」と言う。「得尚于中行」とは、「中行」は六五を指し、中に処して行うことである。九二のなすところがかくのごとくであるから、尚は配であり、六五の中に配することを得るのである。
周易正義小象伝
正義に曰く、「中行に尚わるを得」の義を釈している。荒を包ねてこの六五の中に配することを得るゆえんのものは、私なく偏りなく、光大の道に存するをもってである。ゆえにこの包荒は、みな外物に仮りて義を明らかにしている。