周易本義爻辞
跛は波我の反。
六三は中ならず正ならず、柔にして志は剛である。これをもって乾を履めば必ず傷害を受ける。ゆえにその象はこのようであり、占う者は凶である。また剛武の人が志を得て暴をほしいままにする象でもある。秦の始政や項籍のごときは、どうして久しかることを得ようか。
第3爻
六三:眇にして能く視る、跛にして能く履む、虎の尾を履みて人を咥らう、凶なり。武人、大君と為る。
履卦六三は「眇にして能く視る、跛にして能く履む」と説かれ、自らの力量を超えて虎の尾を踏み、災いを招く危険を警告しています。伝統的には、実力と野心の不一致による独断専行を戒める象とされます。
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易経・四柱推命のリーディング依頼(eastalmanac.com より)。 Page: Hexagram 10 履 — 第3爻. 二層構造で解釈してください。1)理法の根拠:卦爻の変爻や干支五行の力点と注意すべき盲点。2)実践的アドバイス:問いに対する率直な結論、動詞から始まる2〜3の具体的な行動指針と内省の要点。決定論を排し、自省と意思決定の参考にしてください。出典・詳解: https://eastalmanac.com/ja/yijing/10/3
全卦で唯一の陰爻でありながら陽位の三爻にあり、身の程を弁えずに剛強に振る舞う危うさを抱え、之卦は乾為天へと変化します。小象伝は部分的な視力や不完全な足取りでは大過なく進むことはできないと断じ、無謀な過信が手痛いしっぺ返しを招くと戒めています。端的に言えば、自分の限界を軽視して無理に前進しようとすれば挫折を招くため、自重が求められます。
実力以上の大きな案件を安請け合いしたり、社内の実力者に対して無謀な対立を仕掛けたりすることは極めて危険です。組織における戒めとして、分不相応な功名心や意地を張った行動は、責任の押し付けや致命的な失脚を招きやすいとされています。要するに、今は力量の限界を冷静に見極め、無理な挑戦や張り合いを避けて身を引くのが賢明です。
相手に対して強引に自分の意見を押し付けたり、感情的な挑発で主導権を握ろうとしたりすると関係が破綻しかねません。古くからの対人倫理では、弱さを強がりで覆い隠す態度はパートナーの不信を買い、修復困難な亀裂を生むと教えられています。一言で言えば、無駄なプライドや相手を試すような態度は手放し、謙虚に向き合うことが肝要です。
不十分な理解のまま高リスク投資や過剰な借入れに手を出すと、突発的な損失を招く恐れがあります。財運の伝統的知見では、見栄や焦りから身の丈に合わない取引へ踏み込むことを最大の警戒事項と見なします。平たく言えば、儲け話に乗って背伸びをすることは避け、手元の現金を確実に守ることに徹してください。
眇にして能く視るとは、以て明あるに足らざるなり。跛にして能く履むとは、以てともに行くに足らざるなり。人を咥らうの凶とは、位当たらざればなり。武人大君と為るとは、志剛なればなり。
周易本義爻辞
跛は波我の反。
六三は中ならず正ならず、柔にして志は剛である。これをもって乾を履めば必ず傷害を受ける。ゆえにその象はこのようであり、占う者は凶である。また剛武の人が志を得て暴をほしいままにする象でもある。秦の始政や項籍のごときは、どうして久しかることを得ようか。
伊川易伝爻辞
大君。三は陰をもって陽に居り、志は剛ならんと欲すれども体は本より陰柔である。どうしてその履むところを堅固にできようか。ゆえに盲人の視るがごときでその見ること明らかならず、跛躄(足なえ)の履むがごときでその行くこと遠からず。才はすでに足らずして、また処るに中を得ず、履むにその正にあらず、柔にして剛を務む。その履むことこのようであれば、これ危地に履むのである。ゆえに「虎の尾を履む」と言う。履むに善からずして危地を履めば必ず禍患に及ぶ。ゆえに「人を咥らいて凶なり」と言う。武人が大君を為すとは、武暴の人が人の上に居り、その躁率をほしいままにするのみであって、能く順履して遠くへ到達できる者ではない。中正ならずして志が剛であり、すなわち群陽の与するところとなる。ここをもって剛躁にして危難を踏み、凶を得るのである。
伊川易伝小象伝
行くのである。陰柔の人はその才が足らず、視れども明らかなること能わず、行けども遠きに至ること能わず。しかるに剛を務め、履むところはこのようである。どうして害を免れることができようか。柔をもって三に居り、履むにその正にあらざるがゆえに、禍害を招き、咥られて凶となるのである。武人をもって喩えとなすのは、陽に処して才は弱く志は剛なるをもってである。志が剛であれば妄動し、履むところその道によらず、武人にして大君となるがごときである。
周易注爻辞
「履」の時に居り、陽をもって陽に処するすら、なお謙ならずと言う。しかるをいわんや陰をもって陽に居り、柔をもって剛に乗ずる者においてをや。ゆえにこれをもって明となすは眇目(かため)であり、これをもって行となすは跛足(あしなえ)であり、これをもって危うきを履めば咥らるる者である。志は剛健にありながら履むところを修めず、威武をもって人を陵ぎ「大君を為す」を欲す。行いは未だ凶を免れること能わざるに、志は五に存す、頑迷の甚だしき者である。
周易正義爻辞
「六三、眇にして能く視る」から「武人大君を為す」までについて。
正義に曰く、「眇にして能く視、跛にして能く履む」とは、「履」の時に居るには、まさに謙退すべし。今、六三は陰をもって陽に居り、しかもその位を失う。これをもって物を視れば、なお片目にして自ら能く視るとなすがごとく、明とするに足らず。これをもって履践すれば、なお足なえにして自ら能く歩むとなすがごとく、与に行くに足らず。「虎の尾を履みて人を咥らう、凶なり」とは、これをもって虎の尾を履めば人に咥齧される、ゆえに凶である。「武人大君を為す」とは、この威武を行いて人に加陵し、自ら「大君を為す」を欲し、六三の微をもって九五の志を行わんと欲するものであり、頑愚の甚だしきである。
周易正義小象伝
「象に曰く、眇にして能く視るとは」から「武人大君を為すとは、志剛なるなり」までについて。
正義に曰く、「以て明あるに足らざるなり」とは、「眇にして能く視る」を釈している。目はすでに眇(片目)であり、たとい能く視るとも多くの明はない。「以て与に行くに足らざるなり」とは、「跛にして能く履む」を解している。足はすでに蹇跛であり、たとい能く履むとも行くこと遠きに及ばず。ゆえに「以て与に行くに足らざるなり」と言う。「位当たらざればなり」とは、「人を咥らうの凶」を釈している。咥られて凶を見る所以のものは、居る位が当たらないことによる。陰をもって陽に処するからである。「志剛なるなり」とは、「武人大君を為す」を釈している。威武を人に陵ぎて大君たらんと欲する所以のものは、その志意が剛猛であり、陰にして陽に処し、志意が剛なるからである。
一撮金爻辞
六三の三爻、下下:桃李は春風に散り、西へ去りてまた東に復る。家中に意緒なく、船は波濤の中にあり。