周易本義爻辞
「収」は詩救の反、また字のごとし。「幕」の音は「莫」。
収は汲み取ることである。晁氏は言う、収とは轆轤(ろくろ)であり、繘(つるべなわ)を収むる者であると。これも通ず。幕は覆い隠すことである。「孚あり」とは、その出づるに出でる源がありて窮まらざるをいう。井は上出するをもって功となす。坎口掩われざれば、上六は陽剛にあらずといえどもその象かくのごとし。然るに占う者これに応ずれば、必ず孚ありて乃ち元吉なり。
第6爻
上六:井収めて幕(おお)うことなかれ。孚(まこと)あり、元吉なり。
井卦上六は、井戸が完成して広く開放され、豊かな恵みを万民と分かち合い、誠実な姿勢で大いなる吉祥を迎えやすい段階を示しています。
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易経・四柱推命のリーディング依頼(eastalmanac.com より)。 Page: Hexagram 48 井 — 第6爻. 二層構造で解釈してください。1)理法の根拠:卦爻の変爻や干支五行の力点と注意すべき盲点。2)実践的アドバイス:問いに対する率直な結論、動詞から始まる2〜3の具体的な行動指針と内省の要点。決定論を排し、自省と意思決定の参考にしてください。出典・詳解: https://eastalmanac.com/ja/yijing/48/6
上六は井の道の極まりに位置し、爻辞の「井収まりて幕すること勿かれ、孚ありて元吉なり」が示すように、井戸が成就しても蓋をせず誰にでも汲ませる無私の姿勢を表します。易学の伝統では、これを事業や徳の「大成」と捉え、私利私欲を捨てて広く共有することこそが真の持続性をもたらすと説きます。端的に言えば、成果を独占せず周囲と分かち合うことで、これまでの努力が最高の形で実を結びます。
手がけてきたプロジェクトや業務が完遂を迎え、個人的な蓄積から組織全体へのノウハウ共有や後進育成へと役割を移行させる節目です。古典の教えでは成果を独占することを戒め、仕組みを広く開放して他者を支援することが揺るぎない評価につながるとされます。要するに、自らの知見を進んでチームに還元していくことで、あなたの信頼と名声はより確かなものになります。
互いの信頼関係が成熟し、隠し事や余計な防衛心のない、開かれた穏やかな境地に至っています。これまでの試練を乗り越えたことで、見返りを求めずに支え合える深いつながりが確立されています。一言で言えば、包み隠さず素直に心を開き合うことで、二人の絆は一層温かく安定したものになります。
これまでの努力が実り、単独で利益を囲い込む段階から、周囲と価値を共有し好循環を生み出すフェーズへと移行しています。伝統的な解釈では、滞留させず健全に循環させる資源こそが真の繁栄を保つと考えられています。つまり、独り占めせず関わる人々と分かち合う意識を持つことが、長期的な豊かさの基盤となります。
「元吉にして上に在り」とは、大成するなり。
周易本義爻辞
「収」は詩救の反、また字のごとし。「幕」の音は「莫」。
収は汲み取ることである。晁氏は言う、収とは轆轤(ろくろ)であり、繘(つるべなわ)を収むる者であると。これも通ず。幕は覆い隠すことである。「孚あり」とは、その出づるに出でる源がありて窮まらざるをいう。井は上出するをもって功となす。坎口掩われざれば、上六は陽剛にあらずといえどもその象かくのごとし。然るに占う者これに応ずれば、必ず孚ありて乃ち元吉なり。
伊川易伝爻辞
井は上出するをもって用となす。井の上に居るは井道の成るなり。収は汲み取るなり。幕は覆い蔽うなり。取りて蔽わざればその利は窮まりなし。井の施しは広くして大いなり。「孚あり」とは常ありて変ぜざるなり。博く施して常あれば、大善の吉なり。それ井の用を体現し、博く施して常あるは、大人にあらずして誰が能わん。他卦の終極は極まりとなり変となる。ただ井と鼎のみ終極が成功となる。ここをもって吉なり。
伊川易伝小象伝
大善の吉をもって卦の上に在り、井道の大成なり。井は上をもって成功となす。
周易注爻辞
井の極上に処し、水はすでに井を出で、井の功は大いに成る。この爻に在り、ゆえに「井収」というなり。群下はこれを仰ぎて済い、淵泉はこれに由りて通ずる者なり。「幕」は覆うがごとし。その有を擅にせず、その利を私せざれば、物はこれに帰し、往きて窮まることなし。ゆえに「幕すること勿かれ、孚ありて元吉なり」というなり。
周易正義爻辞
正義に曰く、収は式胄の反。凡そ物の収成すべき者は、すなわちこれを収と謂う、五穀の収あるがごとし。上六は井の極に処し、「水すでに井を出で、井功大いに成る」者なり。ゆえに「井収」というなり。「幕すること勿かれ、孚ありて元吉」とは、幕は覆うなり。井功すでに成り、もしその美を擅にせず、その利を専らにせず、自ら掩覆せずして衆とこれを共にすれば、物に帰せらるるところとなり、信に能くその大功を致して元吉を獲る。ゆえに「幕すること勿かれ、孚ありて元吉」というなり。
周易正義小象伝
正義に曰く、上六の能く「元吉」を獲る所以の者は、ただ「井」の上に居り、井の功が大いに成る者なるによる。