East Almanac
日本語

48. 水风井 (井)

第3爻

この爻が動けば に変じる 29. 坎為水 (坎)
九三:井渫(さら)われて食らわれず、我が心を惻(いた)ましむ。用いて汲むべし。王明らかなれば、並びにその福を受けん。

現代解釈

井卦九三は、井戸が綺麗に浚渫されて清らかな水を湛えながらも、まだ汲み上げられていない待機と充実の段階を象徴します。確かな実力を備えたからこそ、焦らずに理解ある引き立て役や適切な機会の到来を待つことが重要です。

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プロンプトプレビュー
易経・四柱推命のリーディング依頼(eastalmanac.com より)。
Page: Hexagram 48 井 — 第3爻.
二層構造で解釈してください。1)理法の根拠:卦爻の変爻や干支五行の力点と注意すべき盲点。2)実践的アドバイス:問いに対する率直な結論、動詞から始まる2〜3の具体的な行動指針と内省の要点。決定論を排し、自省と意思決定の参考にしてください。出典・詳解:
https://eastalmanac.com/ja/yijing/48/3

易の占い

九三は陽爻が陽位を得て正しく、下卦の極みに位置して井戸の水が清冽に澄み渡った状態を表しますが、まだ汲み手に出会えない「井渫不食」の嘆きを抱えます。しかし上六との正応があり、自身も才徳を十分に備えています。伝統的な解釈においても、憂慮の境遇にありながら明晰な指導者に見出されることで広く福祉を行き渡らせる好機を内に秘めているとされます。平たく言えば、実力はすでに十分仕上がっているため、時機が至るのを信じて静かに待つべき時です。

仕事・キャリア

業務スキルや準備してきた企画はすでに完成度の高い域に達していますが、組織内での認知や抜擢がわずかに追いついていない状況を示唆しています。易学の伝統では、このもどかしさは過渡期特有のものであり、上に立つ者の判断力が整えば必ず重用されて周囲に利益をもたらすと解釈されます。焦って無理な自己アピールに走るよりも、現在の高い品質を崩さずに維持することが結果的に最良の評価を呼び込みます。要するに、自身の能力に確信を持ち、真価が見出される瞬間を落ち着いて待つのが賢明です。

恋愛・対人

相手への誠実な想いや自身の魅力が十全に備わっているにもかかわらず、タイミングや状況の不一致により、それが十全に伝わり切っていないもどかしさがあります。この停滞は相性の不一致によるものではなく、互いの理解を深めるための導線がまだ十分に開かれていないことに起因します。無理に関係を急展させようと圧をかけるのではなく、温かな配慮を静かに示し続けることで自然と信頼の扉が開かれます。つまり、自分を取り繕うことなく誠意を保ち続ければ、時期の到来とともに深い共感が育まれます。

金運

手元にある資産やこれまでの自己投資は高い潜在価値を秘めているものの、市場での具現化や直接的な収益化にはもう少し時間を要する配置です。古典的な知恵は、質が保証されている価値はいずれ正当に循環するため、目先の即効性に惑わされて安売りや方向転換をすべきではないと説きます。いまは基盤の保全と品質管理に専念し、外部の流通環境が整うのをどっしりと構えて待つ姿勢が吉とされます。端的に言えば、確かな価値を持つ資産だからこそ慌てず、適切な換金期が巡るのを待ちましょう。

参考資料

原文

小象伝

「井渫われて食らわれず」とは、行く人の心を惻ましむるなり。「王の明らかならんことを求む」とは、福を受くるなり。

古典注釈

周易本義小象伝

行惻とは、道を行く人がみな惻ましく思うことである。

伊川易伝爻辞

その福を受く。三は剛陽をもってその正を得て居り、これ済用の才ある者なり。井の下の上に在りて、水の清潔にして食らうべき者なり。井は上をもって用となす。下に居ればいまだその用を得ざるなり。陽の性は上り、また志は上六に応ず。剛に処して中を過ぎ、上進すること汲々たり。すなわち才用ありて施為に切なるも、いまだその用を得ざれば、すなわち井の渫治されて清潔なるに食らわれず、心のために惻怛たるがごとし。三は井の時に居り、剛にして中ならず、ゆえに施為に切にして、これを用うればすなわち行い、これを舎てればすなわち蔵る者とは異なるなり。しかれども明王の人を用うるや、あに備わらんことを求めんや。ゆえに王明らかなればすなわち福を受く。三の才はもって用を済うに足る、井の清潔にして汲みて食らうべしとするがごとし。もし上に明王あらば、すなわち当にこれを用いてその効を得べし。賢才用いらるれば、すなわち己はその道を行うを得、君はその功を享くるを得、下はその沢を被るを得て、上下並びにその福を受くるなり。

伊川易伝小象伝

井が渫治されて食らわれざるは、人才知ありて用いられず、行うを得ざるをもって憂惻とするがごとし。すでに行うを得ざるをもって惻とすれば、あに求むること有るを免れんや。ゆえに王の明らかなるを求めて福を受く。志は行うに切なるなり。

周易注爻辞

渫とは汚れを停めざるを言うなり。下卦の上に処し、またその位を得て上に応ず。井の義を得るなり。井の義に当たりて食らわれず、己を修めて全く潔きも用いられず。ゆえに「我が心を惻ましむ」なり。「為」は使のごとし。下注せずして上に応ず、ゆえに「汲むべし」なり。王明らかなればすなわち照明を見、すでにその行いを嘉し、またその用を欽ぶ。ゆえに「王明らかなれば、並びに其の福を受く」というなり。

周易注小象伝

行いは誠に感ず、ゆえに「惻ましむなり」という。

周易正義爻辞

「九三井渫不食」より「王明並受其福」に至るまで。

正義に曰く、「井渫れて食らわれず」とは、渫は穢れと汚れを治め去るの名なり。井が渫治されれば、すなわち清潔にして食らうべし。九三は下卦の上に処し、初六の「井泥」の時に異なり、位を得て上に応あり、「鮒を射る」の象にあらず。ただ井は上出するをもって用となすに、猶お下体に在りて未だ功を成さず。功すでに成らざれば、井渫治さるるといえども未だ食らわれず。ゆえに「井渫れて食らわれず」というなり。「我が心を惻ましむ」とは、「為」は使のごとし。井渫れて食らわれざるは、人の己を修めて全く潔きも用いられず、我が心の中を惻愴せしむるがごとし。ゆえに「我が心を惻ましむ」という。「汲むべし、王明らかなれば、並びに其の福を受く」とは、九二の下注して汲むべからざると同じからず、上に応ありてこれ汲むべし。井の汲むべきは、人の用いるべきがごとし。もし明王に遇わざれば、その才用を滞らす。もし賢主に遭遇すれば、その行能を申ぶ。賢主はすでにその行いを嘉し、またその用を欽ぶ。ゆえに「汲むべし、王明らかなれば、並びに其の福を受く」というなり。

一撮金爻辞

九三の爻は下下:安静にして事は疑い難きに、雲中に一鶴飛ぶ。桃花は驟雨に遭い、水畔に女頻りに啼く。

出典