周易本義大象伝
上は時と掌の反切。
除とは修めてこれを聚むるをいう。
それぞれの暦日は一つの卦に決定論的に対応します——文王卦の順で64日を一巡する連続輪転によるものです。占わず、乱数もありません。
萃:王、有廟に假る。大人を見るに利あり、亨る。貞に利あり。大牲を用うれば吉なり、往くところあるに利あり。
萃卦は大地上に湖水が集まるように、人や資源が豊かに寄り集まり結束する時運を示しています。大義のもとに人々を結集させつつ、不測の事態に備えて規律と防備を整えることが永続的な繁栄をもたらします。
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易経・四柱推命のリーディング依頼(eastalmanac.com より)。 Page: Daily hexagram 2026-07-18: #45 泽地萃. 二層構造で解釈してください。1)理法の根拠:卦爻の変爻や干支五行の力点と注意すべき盲点。2)実践的アドバイス:問いに対する率直な結論、動詞から始まる2〜3の具体的な行動指針と内省の要点。決定論を排し、自省と意思決定の参考にしてください。出典・詳解: https://eastalmanac.com/ja/daily-hexagram/2026-07-18/
命式において萃卦の気配を帯びる構造は、多くの人々を惹きつける包容力と、周囲のリソースを統合する高い手腕を象徴します。伝統命理では、坤土の受容と兌金の調和を活かしつつ、仲間同士の衝突や消耗を防ぐ境界線の設定が重視されます。明確なルールのもとで周囲と協力関係を築くことで、自身の社会的基盤が強固になります。
占星術の視点では、集団や社会的なネットワークを司るハウスに強力な調和が生まれ、人を束ねる求心力が高まる配置と重なります。古典的な解釈では、人々が集まる活気の中で自身のエネルギーが散漫にならないよう、秩序だった枠組みを設けることが肝要とされます。共通の目標を掲げて集団の力を束ねることで、確かな成果へと結びつきます。
下卦の坤(地)の上に上卦の兌(沢)が重なり、水が集まるように志を同じくする者が集い合う「萃」の象を現しています。卦辞は「王假有廟、利見大人」をもってその宗主を明らかにしています。『大象伝』は「戎器(じゅうき)を除き、不虞を戒む」と説き、繁栄と集結の最中にこそ備えを固め、油断を排す重要性を説きます。志を正しく保ちながら危機管理を怠らなければ、集約された力で大きな前進を果たすことができます。
事業や業務においては、チームの拡充やアライアンスの締結など、組織力を活かした大規模なプロジェクトを推進する好機です。易学の伝統では「正をもって聚まる」ことが栄達の要件とされ、公正な理念と明確な役割分担が組織の結束を深めるとされます。規律と安全策を整えた上で協働体制を敷くことが、確実な事業成功へとつながります。
複数の資金源や共同出資など、規模の利益を活かした財運の集積が期待できる局面です。古典的な知見では「大牲を用いる」という言葉が示す通り、十分な計画性を持った投資や枠組みの整備が実りを呼ぶとされています。どんぶり勘定を避けて厳格な財務管理を行い、不測の出費への備えを確保しておくことが安定をもたらします。
共通の知人やコミュニティを通じて温かな出会いが広がり、交際中であれば家族や周囲から祝福される機運に恵まれます。伝統的な卦象が順応と和悦の調和を象徴するように、互いを敬い誠実に接することで絆が自然と深まります。日頃から感謝や思いやりを行動で示すことが、揺るぎない信頼関係を築く基礎となります。
湿潤な地と沢の交わりは、消化器系や水分代謝のバランスに目を向けるべき時期であることを示唆しています。伝統養生法では、祝宴や会食の場が増えることによる暴飲暴食を避け、温かく滋養のある食事で脾胃を労わることが勧められます。規則正しい生活習慣を保ち、適度に身体を動かして巡りを整えるよう心がけてください。
自己研鑽においては、大地があらゆる水流を受け入れるように、多様な価値観や他者の長所を謙虚に学ぶ姿勢が成長を促します。ただし伝統的な教えは、外部の刺激を無差別に受け入れるのではなく、良質なものを選び取る分別の大切さも説いています。芯となる判断基準を保ちながら知見を広げることで、人間的な器を大きく育てることができます。
相性の観点では、共通の理念や価値観によって強く結びつき、互いの資質を活かして相乗効果を生み出せる関係性を示します。古典的な見立てでは、互いに心地よく協調できる間柄である一方、周囲の人間関係に振り回されない自立した対話が求められます。誠意をもって率直な対話を重ねることが、二人で築く基盤をより盤石なものにします。
大運において萃の巡りにある時期は、長年培った人脈や実績が一つの形へと結集し、社会的な影響力を広げる充実期にあたります。伝統的な時間論では、順風満帆な時ほど基盤の保守点検を怠らず、無理な急拡大を控えることが持続的な発展の秘訣とされます。周囲との信頼関係を大切に足元を固めることで、好運の恩恵を長く享受できます。
年運として萃卦が巡る年は、共同事業の始動や良き仲間との出会い、家庭内の慶事など、人と集う場面で大きな発展が期待されます。伝統的な年運解釈では、契約や取り決めを曖昧にせず、書面や手続きを厳密に行うことで後日の摩擦を防げると戒められます。誠実な協調関係を築きつつ確認を怠らなければ、実り多き一年を過ごせます。
姓名判断において萃卦の気配を宿す構成は、人を惹きつける温かい人望と、組織や集団を調和へ導く指導力を授けます。伝統的な五行論では土と金の相生を重んじ、安定感と親しみやすさを兼ね備えた文字配列が吉相とされます。包容力と誠実さを感じさせる名付けは、生涯を通じて豊かな人脈と支援に恵まれる後押しとなります。
日選びにおいて萃卦の象意を得る日は、新組織の発足、調印式、地域や組織の集会、大規模な記念行事などに適した吉祥の日とされます。伝統的な択日法では、集まった気が乱れず調和して循環するよう、干支の衝突や破れを避けることが重視されます。和合の気にあふれる日取りを選ぶことで、これからの活動に団結と順調な発展をもたらします。
風水環境において萃卦は、気がゆるやかに集まる明堂や、水が滞りなく合流して豊かさをもたらす穏やかな地形に対応します。古典的な環境設計では、リビングや中央の広場を清潔に保ち、気が淀みなく集約されるような動線を整えることが推奨されます。住まいの中に人々が心地よく集える空間を作ることで、家庭内の調和と穏やかな活気が保たれます。
萃は聚まるなり。順にして説び、剛中にして応ず、故に聚まるなり。「王、有廟に假る」とは、孝享を致すなり。「大人を見るに利あり亨る」とは、聚まるに正しきを以てするなり。「大牲を用うれば吉なり、往くところあるに利あり」とは、天命に順ずるなり。その聚まる所を観て、天地万物の情を見るべし。
澤、地に上るは萃なり。君子以て戎器を除め、不虞を戒む。
周易本義大象伝
上は時と掌の反切。
除とは修めてこれを聚むるをいう。
伊川易伝卦辞
萃の序卦に「姤とは遇なり。物相遇いてのちに聚まる、ゆえにこれを受くるに萃をもってす」とある。萃とは聚まることである。物が相会遇すれば群を成す、萃が姤に次ぐ所以である。卦たるや兌が上にして坤が下にある。沢が地上に上るは水の聚まりであるゆえに萃となす。「沢が地上にあり」と言わずに「沢地上に上る」と云うは、地上に上ると言えばまさに聚まるの義となるからである。廟。
王者が天下を萃聚する道は有廟に至りて極まる。群生は至極多くの衆であるにもかかわらず、その帰仰を一にすることができる。人心のどこに向かうか知り難いにもかかわらず、その誠敬を致すことができる。鬼神の推し量り難いにもかかわらず、その来格を致すことができる。天下人心を萃合し衆志を総摂する道は一ならず、その至大なるは宗廟に過ぎたるはなし。ゆえに王者が天下を萃する道、有廟に至ればすなわち萃道の至極である。祭祀の報本は人心に本づくものであり、聖人が礼を制してその徳を成したのみである。ゆえに豺獺(さいだつ)がよく祭るもその性然らしむるゆえである。萃の字の下に「亨」の字があるは羨文である。「亨」の字は自ら下に在り、渙とは異なる。渙は先ず卦才を言い、萃は先ず卦義を言う。彖辞は甚だ明らかである。
天下の聚まりは必ず大人を得てもってこれを治むべし。人が聚まれば乱れ、物が聚まれば争い、事が聚まれば紊(みだ)れる。大人がこれを治むるにあらざれば、萃は争乱を致す所以となる。萃にして正しからざれば、人の聚まるは苟合となり、財の聚まるは悖入となる。いかでか亨るを得んや。ゆえに貞に利ろし。
萃とは豊亨の時である。その用は宜しきに称(かな)うべし、ゆえに大牲を用うるに吉なり。事において祭より重きはなし、ゆえに祭享をもって言う。上は鬼神に交わり下は民物に接し、百用みな然らざるはなし。萃の時に当たりて物に交わるに厚きをもってすれば、すなわち豊富の吉を享けるのである。天下その富楽を同じうせざるはなし。もし時の厚きにありて物に交わるに薄きをもってすれば、すなわちその豊美を享けず、天下これに与(くみ)せずして悔吝生ずるのである。けだし時の宜しきに随い理に順いて行う、ゆえに彖に「天命に順うなり」と云う。そもそも有為たる能わざる者は力の足らざるゆえである。萃の時に当たるゆえに往く攸あるに利ろし。大凡そ工を興し事を立つるは、為すべき時を得るを貴しとなす。萃まりて然るのちに用いる、ここをもって動きて余裕あり、天理の然らしむる所である。
彖に曰く、「萃は聚なり。順にして説び、剛中にして応ず、ゆえに聚まるなり」。萃の義は聚まることである。「順にして説び」とは卦才をもって言う。上が説(よろこ)びて下が順(したが)うは、上が説道をもって民を使い人心に順い、下が上の政令を説びて上に順従することである。上下が順説なるのみならず、陽剛にして中正の位に処し、下に応助かくの如くあるがゆえによく聚まるのである。天下の萃を欲するも、才かくの如くにあらざれば能わざるなり。「王廟を有(たも)つに仮(いた)るとは、孝享を致すなり」。
王者が人心を萃する道は宗廟を建立するに至り、その孝享の誠を致すゆえんである。祭祀は人心の自ら尽くす所であるゆえに、天下の心を萃するは孝享に如くはなし。王者が天下を萃する道は有廟に至りてその極みとなる。「大人を見るに利ろし亨るとは、聚まるに正をもってするなり」。萃の時に大人を見ればすなわち亨ることができる。けだし正道をもって聚まるゆえである。大人を見ればその聚まるに正道をもってし、その正を得ればすなわち亨る。萃にして正をもってせざれば、それよく亨らんや。「大牲を用うるに吉にして、往く攸あるに利ろしとは、天命に順うなり」。
大牲を用うとは、上の有廟の文を承けて享祀をもって言う。凡事みなかくの如からざるはなし。豊聚の時、物に交わる者は厚くしてその宜しきに称うべし。物聚まりて力贍(た)り、乃てもって為すところあるべし、ゆえに往く攸あるに利ろし。みな天理の然らしむる所ゆえに「天命に順うなり」と云うのである。「その聚まる所を観て、天地万物の情見つべし」。萃の理を観れば天地万物の情を見ることができる。天地の化育、万物の生成、およそ有る者はみな聚まりである。有無動静終始の理は聚散に過ぎない。ゆえにその聚まる所以を観れば、天地万物の情を見ることができるのである。
伊川易伝大象伝
沢が地上に上るは萃聚の象である。君子は萃の象を観て、戎器を除治し、もって不虞に戒備するのである。およそ物の萃まるや不虞不測の事あり。ゆえに衆聚まれば争いあり、物聚まれば奪いあり、大率は衆くなれば多事となる。ゆえに萃の象を観て戒めるのである。除とは簡治することであり、悪を去ることである。除治して聚め蓄えるは、不虞を戒むる所以である。
周易注卦辞
仮は至である。王は聚をもって有廟に至るのである。聚まりて大人を得て、乃ち通ずるを得て正しきに利ろしきなり。聚の道を全うしてこそ「大牲を用うるに乃ち吉」なのである。聚の道全からずして大牲を用うれば、神も福(さいわい)せざるなり。
周易注彖伝
ただ「順にして説ぶ」のみなれば邪佞の道である。剛にして中応に違えば強亢の徳である。何に由りて聚まることを得んや。順説にして剛を主とし、剛を主として中を踏み、中を踏みて応ず、ゆえに聚まるを得るのである。聚を全うして乃ち孝の享を致すを得るなり。大人とは中正を体する者である。正をもって衆に通じ、聚まり乃ち全きを得るのである。「順にして説び」て剛を損なわざるは、「天命に順う」者である。天徳は剛にして中に違わず、天に順えば説びて剛を主とするのである。「方は類をもって聚まり、物は群をもって分かつ」。情同じくしてのちに乃ち聚まり、気合いてのちに乃ち群をなす。
周易注大象伝
聚まりて防ぎなければ、衆心が生ず。
周易正義卦辞
正義に曰く、仮は至である。天下が崩離すれば民は怨み神は怒り、重ねて享祀すといえども無廟と同じである。王が大聚の時に至りて孝徳は昭らかとなり、始めてこれを「廟あり」と謂うべし。ゆえに「王仮に廟あり」というのである。正義に曰く、聚まりて主なければ、散ぜざれば乱れる。ただ大徳の人ありて能く正道を弘め、乃ち常通を得て正しきに利ろし。ゆえに「大人を見るに利ろし、亨りて、貞に利ろし」というのである。正義に曰く、大人が王となれば聚の道は全うされ、これをもって大牲を用うれば神明は福を降す。ゆえに「大牲を用うるに吉なり」というのである。
正義に曰く、人聚まり神祐く、何れの往くとして利あらざらんや。ゆえに「往く攸あるに利ろし」というのである。
周易正義彖伝
「彖に曰く」から「ゆえに聚まるなり」に至るまで。
正義に曰く、「萃は聚なり」とは、「萃」の名を訓釈したものである。「順にして説び、剛中にして応ず、ゆえに聚まるなり」とは、二体および九五の爻について能く聚まる所以を釈したものである。もし全たく順説を用いれば邪佞の道が興り、全たく剛陽を用い中応に違えば強亢の徳が著われる。何に由りて聚まることを得んや。いま「順にして説び」て剛を主とすれば邪佞にあらず。応じて中を失わざれば偏亢にあらず。かくの如くしてまさに物を聚めることができる。ゆえに「順にして説び、剛中にして応ず、ゆえに聚まるなり」というのである。
正義に曰く、享は献である。聚の道すでに全ければ「有廟」に至り、祭祀を設けて「孝享を致す」ことができるのである。正義に曰く、萃において大人を見るに利ろしくして乃ち通じて正しきに利ろしき所以を釈するに、まことに大人が中正の徳を有し、正道をもってこれに通じ化せしめ、然るのちに聚の道が全きを得るに由る。ゆえに「聚まるに正をもってするなり」というのである。
正義に曰く、天の徳たるや剛にして中に違わず、いま「順にして説び」て剛を主とするは、これ「天命に順う」ことである。動きて天命に順えば神明に享けることができ、往くとして利あらざるはなし。ゆえに大牲を用うるを得て吉となる。「往く攸あるに利ろし」とは、ただ「天命に順う」がためである。正義に曰く、これは広く萃の義を明かしてこれを嘆美したものである。およそ物の聚まるを得る所以のものは情を同じくするに由る。情志もし違えば聚まるを得る由なし。ゆえに「その聚まる所を観て、天地万物の情見つべし」というのである。
周易正義大象伝
正義に曰く、沢が地上に上れば水潦が聚まる。ゆえに「沢地上に上るは萃なり」という。除とは治である。人がすでに聚会すれば防備なかるべからず。ゆえに君子はこの時に当たり、戎器を修治してもって不虞を戒備するのである。