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今日の卦 2026年4月24日金曜日: #24 地雷復 (复)

それぞれの暦日は一つの卦に決定論的に対応します——文王卦の順で64日を一巡する連続輪転によるものです。占わず、乱数もありません。

復:亨る。出入疾なく、朋来たりて咎なし。其の道を反復し、七日にして来たり復る。往く攸あるに利ろし。

現代解釈

地雷復は、大地の下で一陽が萌芽し、循環のなかで生気がよみがえる再生の兆しを示します。極限の静寂から新たな息吹が戻る時であり、焦らず自然の運行に順応して微細な陽気を養うことが説かれます。

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プロンプトプレビュー
易経・四柱推命のリーディング依頼(eastalmanac.com より)。
Page: Daily hexagram 2026-04-24: #24 地雷復.
二層構造で解釈してください。1)理法の根拠:卦爻の変爻や干支五行の力点と注意すべき盲点。2)実践的アドバイス:問いに対する率直な結論、動詞から始まる2〜3の具体的な行動指針と内省の要点。決定論を排し、自省と意思決定の参考にしてください。出典・詳解:
https://eastalmanac.com/ja/daily-hexagram/2026-04-24/

八字命式

四柱推命の見地では、復卦は冬至の一陽来復と重なり、陰の極まりから運気が底を打って反転する転換期を象徴します。芽生えたばかりの喜神の力はまだ極めて繊細であるため、過度な消耗や無理な拡張は避け、内省と静養に徹することが肝要とされます。要するに、運勢は好転の兆しを見せているため、焦らず力を蓄えながら着実に歩みを進めましょう。

西洋占星術

占星術の配置においては、新月直後の微光や、主要な天体が逆行から順行へと戻り、停滞していたエネルギーが解けていく局面に相当します。前進への推進力はまだ繊細な段階ですが、進むべき方向性は次第に明瞭さを帯びてきています。要するに、新たに湧き上がる直感や計画を尊重し、小さな一歩から慎重に試行していくことが得策です。

易の占い

卦象は雷が地中に潜む形をとり、内に活動の兆しを秘めつつ外は受容的に従う、無理のない始動を表します。『彖伝』が七日来復という天行の周期を説き、『大象伝』がかつての賢王が至日に門を閉ざして静養した故事を引くように、萌芽の段階では無謀な活動を控えて生気を守ることが推奨されます。要するに、始まったばかりの勢いは尊くも脆いため、今は静かに見守り育てる姿勢が大切です。

仕事・キャリア

仕事面では、新たなプロジェクトや事業の方向転換など、清新なスタートラインに立つ時期を迎えています。急激な成果や拡大を焦って求めるのではなく、小規模な検証や基礎体制の整備に重きを置くことが長期的な発展をもたらします。要するに、新たな流れを静かに受け止め、足元の準備を一つひとつ丁寧に進めることが成功の土台となります。

金運

金運においては、収縮期を脱して資金の流れが徐々に正常化へと向かう底打ちの兆候が見られます。伝統的な知恵は、この回復期において投機的な拡大を急ぐのではなく、収支計画を見直し備蓄を整える堅実な姿勢を勧めます。要するに、巡り始めた資源を丁寧に管理し、地道に蓄積していくことが将来の安定につながります。

恋愛・対人

対人関係や恋愛では、過去の誤解やわだかまりが解け、自然な温もりが再び通い合う雪解けの契機が訪れています。過去の過ちを蒸し返すことなく、柔らかく穏やかな態度で接することで、互いの信頼感が自然に修復されていきます。要するに、互いにやり直すための時間と寛容さを持つことで、関係は温かく再生していきます。

健康

健康面では、消耗した気力が徐々に回復へと向かう静養と修復のフェーズに位置づけられます。東洋の伝統医学では、冷えを防ぎ規則正しい睡眠を守ることで、生まれ始めた微弱な元気を損なわないよう配慮することが重視されます。要するに、身体本来の回復リズムに身を委ね、無理な活動を控えて十分な休息を取ることが何よりです。

自己成長

自己修養の観点からは、「天地の心を見る」という言葉が示すように、自らの本心や初心へと立ち返る精神的な覚醒が求められます。周囲の雑音や過度な焦りを手放し、自分が本当に大切にしたい価値観を静かに再確認する好機です。要するに、静かな内省を通じて原点に戻ることで、内なる生命力が再び鮮やかに輝き始めます。

相性

相性においては、波長が自然に調和し、必要な支援者や気心の知れた仲間との絆が穏やかに結び直される運気です。一方的な主張や性急な要求を控え、相互の敬意に基づいて対話を重ねることで、安定した協力関係が築かれます。要するに、誠意と配慮をもって接することで、時間とともにより強固な信頼関係が育まれます。

運の流れ

長期的な大運の巡りでは、停滞していた古い周期が終わりを告げ、緩やかな上昇軌道へと移り変わる節目を示しています。表面的な進展速度はまだ穏やかであっても、時代の底流は確実に再生の方向へと向かっています。要するに、先の明るい見通しを信じ、目先の遅さに惑わされず足元を固めていくことが大切です。

年運

年運としては、前半に内実の充実と下準備を重ね、後半にかけて無理なく物事を進めていく堅実な流れとなります。年の初めは内部の整理や地道な学びの蓄積に充てることで、後の好機において確かな推進力を発揮できます。要するに、この一年は基礎を固め直す助走期間と捉え、焦らず着実に歩調を整えていきましょう。

姓名判断

名付けや改名においては、再生、復興、萌芽、純粋さや粘り強い生命力を連想させる文字が適しています。構造的に重心が安定し、静けさの中に伸びやかな広がりを感じさせる字形を選ぶことで、着実な人生の礎となります。要するに、静かな生命力と誠実さを感じさせる文字を選ぶことが、息の長い発展を支える力となります。

吉日選択

日取りの選定においては、復卦の象意に沿って、静養、初心への回帰、地鎮祭や新企画の始動、穏やかな私的集会などに吉とされます。一方で、激しい対立が予想される交渉や大規模な賭け、性急な契約締結には向いていません。要するに、静かに思索を深めたり、穏やかに物事を始めたりする日を選ぶのが賢明です。

風水

風水環境では雷が地中にあるという象に基づき、住空間全体に落ち着きと適度な通気性を確保することが推奨されます。特に東の震木と南西の坤土の方位を清浄に保ち、雑多な物を排除することで、芽生えたばかりの気が健やかに養われます。要するに、住まいの中に静寂と温もりを行き届かせることが、家庭全体の活力と運気を育む基盤となります。

参考資料

原文

彖伝

復は亨る。剛反り、動きて順を以て行わる。是を以て出入疾なく、朋来たりて咎なきなり。其の道を反復し七日にして来たり復るは、天行なり。往く攸あるに利ろしとは、剛長ずればなり。復は其れ天地の心を見るか。

大象伝

雷が地中にあるは復なり。先王以て至日に関を閉ざし、商旅は行かず、后は方を省みず。

古典注釈

周易本義卦辞

反復の復は方福の反、また覆に作る、彖も同じ。

復は陽が下に復(ま)た生ずるなり。剥尽くれば則ち純坤となり、十月の卦にして、陽気は已に下に生ず。これを積むこと月を踰え、然る後に一陽の体始めて成りて来復す。故に十有一月、その卦を復と為す。その陽が既に行きて復反するを以て、故に亨る道あり。また内は震、外は坤にして、陽が下に動き順を以て上行するの象あり。故にその占はまた己の出入において既に疾無きを得、朋類の来たるもまた咎無きを得るとなす。また五月の天風姤卦の一陰始めて生ずるより、ここに七爻に至りて一陽来復す。乃ち天運の自然なり。故にその占はまた「その道を反復し、七日にして当に来復すべし」となす。また剛徳方に長ずるを以て、故にその占はまた「往く攸有るに利し」となすなり。その道を反復すとは、往きて復た来たり、来たりて復た往くの意なり。七日とは、占うところの来復の期なり。

周易本義彖伝

剛反れば則ち亨る。卦徳を以て言えば、 陰陽消息は天運然るなり。長は丁丈の反。

卦体を以て言えば、既に生ずれば則ち漸く長ず。積陰の下に一陽復た生じ、天地の物を生ずるの心、滅息するに幾(ちか)きも、ここに至りて乃ち復た見るべし。人に在りては則ち静極まりて動き、悪極まりて善となり、本心幾ど息(や)みて復た見(あら)わるるの端たるなり。程子これを目して論ずること詳かなり。邵子の詩にもまた曰く、「冬至、子の半ば、天心改移すること無し。一陽初めて動く処、万物未だ生ぜざるの時。酒味は方に淡く、太音は声まさに希(かす)かなり」と。この言もし信ぜずんば、更に包羲に請うて問え。至れるかな言や。学者宜しく心を尽くすべし。

周易本義大象伝

安静にして以て微陽を養うなり。『月令』に「是の月、斎戒し身を掩いて以て陰陽の定まる所を待つ」と。

伊川易伝卦辞

復。序卦に「物は以て終に尽く可からず。剥は上に窮まりて下に反る、故にこれを受くるに復を以てす」と。物に剥尽くるの理無し、故に剥極まれば則ち復来たる。陰極まれば則ち陽生じ、陽は上に剥極まりて復た下に生ず。上に窮まりて下に反るなり。復の剥に次ぐ所以なり。卦と為すや、一陽が五陰の下に生じ、陰極まりて陽復るなり。歳の十月は陰の盛んなること既に極まり、冬至には則ち一陽復た地中に生ず、故に復と為すなり。陽は君子の道なり。陽消極まりて復反し、君子の道消極まりて復長ずるなり。故に善に反るの義と為す。

「復は亨る」とは、既に復れば則ち亨るなり。陽気下に復生し、漸く亨盛にして万物を生育す。君子の道、既に復れば則ち漸く以て亨通し天下を沢(うるお)す。故に復れば則ち亨盛の理あり。「出入疾無く」とは、出入は生長を謂う。復生して内に在るを入といい、長進して外に在るを出という。先に出を云うは語の順なるのみ。陽の生ずるは外よりするに非ず、内より来る、故にこれを入と謂う。物の始めて生ずるやその気至って微なり、故に屯艱多し。陽の始めて生ずるやその気至って微なり、故に摧折多し。春陽の発するや陰寒の折く所となるは、草木を朝暮に観れば則ち見る可し。「出入疾無く」とは、微陽の生長を害するもの無きを謂うなり。既にこれを害するもの無く、その類漸く進みて来たらば、則ち将に亨盛ならんとし、故に咎無きなり。謂う所の咎は、気に在りては則ち差忒と為り、君子に在りては則ち抑塞されてその理を尽くすを得ざるとなす。陽のまさに復らんとするや、たとえこれを疾(そこな)うもの有るも、固よりその復るを止むる能わず、ただ阻礙と為るのみ。卦の才に疾無きの義有るは、乃ち復道の善なり。一陽始めて生ずるは至って微にして、固より未だ群陰に勝ちて万物を発生せしむる能わず。必ず諸陽の来たるを待ちて然る後に能く生物の功を成して差忒無く、朋来たりて咎無きを以てす。三陽(子・丑・寅の気)の万物を生成するは、衆陽の功なり。君子の道、既に消して復るが若きも、豈に便(すなわ)ち小人に勝つ能わんや。必ずその朋類の漸く盛んなるを待ちて、則ち能く力を協(あわ)せてこれに勝つなり。

消長の大道が反復し迭(たが)いに至るを謂う。陽の消ゆること七日に至りて来復す。姤は陽の始めて消ゆるなり。七変して復を成す、故に七日と云う。七更を謂うなり。『臨』に「八月に至りて凶あり」と云うは、陽の長ずること陰の長ずるに至るまで八月を歴るを謂うなり。陽進めば則ち陰退き、君子の道長ずれば則ち小人の道消ゆ。故に往く攸有るに利しきなり。

伊川易伝彖伝

「復亨」とは、剛反りて亨るを謂うなり。陽剛消極まりて来反し、既に来反すれば則ち漸く長盛にして亨通す。「動きて順を以て行ふ、是を以て出入疾無く朋来たりて咎無し」とは、卦才を以てその然る所以を言うなり。下は動き上は順なるは、是れ動きて順を以て行くなり。陽剛反りて順動す、是を以て出入疾無く朋来たりて咎無きを得るなり。朋の来たるもまた順動なり。乎。

「その道反復し往来迭いに消迭いに息す、七日にして来復す」とは、天地の運行かくの如し。消長相因るは天の理なり。陽剛君子の道長ず、故に往く攸有るに利し。一陽下に復るは、乃ち天地の物を生ずるの心なり。先儒は皆静を以て天地の心を見るとなすも、蓋し動の端こそ乃ち天地の心なるを知らざるなり。道を知る者に非ずんば、孰か能くこれを識らん。

伊川易伝大象伝

雷は陰陽相薄(せま)りて声を成すものにして、陽の微なるに当たりては未だ発する能わざるなり。雷の地中に在るは、陽始めて復るの時なり。陽始めて下に生じて甚だ微なり、安静にして然る後に能く長ず。先王は天道に順い、至日に当たりて陽の始めて生ずるや、安静にして以てこれを養う。故に関を閉ざして商旅を行くを得ざらしめ、人君は四方を省視せず。復の象を観て天道に順うなり。一人の身に在りても亦た然り、当に安静にして以てその陽を養うべきなり。

周易注彖伝

入れば則ち反となり、出づれば則ち剛長ず、故に「疾無し」。疾は猶お病のごときなり。「朋」は陽を謂うなり。陽気の始めて剥尽くるより来復する時に至るまで、凡そ七日なり。天の行を以てすれば、反覆七日を超えず、復の遠かるべからざるなり。往けば則ち小人の道消ゆ。乎。

復とは、本に反るの謂いなり。天地は本を以て心と為す者なり。凡そ動息(や)めば則ち静なり、静は動に対するものに非ず。語息めば則ち黙なり、黙は語に対するものに非ず。然らば則ち天地は大にして万物を富有し、雷動き風行き運化万変すといえども、寂然として至無なるは、是れその本なり。故に動地中に息むは、乃ち天地の心現るるなり。もしそれ有を以て心と為さば、則ち異類は具(とも)に存するを獲ざらん。

周易注大象伝

方は、事なり。冬至は、陰の復なり。夏至は、陽の復なり。故に復と為すときは則ち寂然たる大静に至る。先王は天地に則りて行う者なり。動復れば則ち静となり、行復れば則ち止まり、事復れば則ち無事となるなり。

周易正義卦辞

正義に曰く、「復亨」とは、陽気反復して亨通を得、故に「復亨」という。「出入疾無し」とは、出づれば則ち剛長じ、入れば則ち陽反り、理その時に会す、故に疾病無きなり。「朋来たりて咎無し」とは、朋は陽を謂うなり。衆陽を反復し、朋聚して来たれば、則ち「咎無し」なり。もし陽の衆(とも)に来たるに非ざれば則ち咎あらんも、その衆陽の来たるを以ての故に「咎無し」なり。「その道を反復し、七日にして来復す」とは、速やかに反りて復りその道を得んと欲し、過ちて遠かるべからず。ただ七日にして来復すれば、乃ち道に合するなり。「往く攸有るに利し」とは、陽気方に長ずるを以て、往けば則ち小人の道消ゆ、故に「往く攸有るに利し」というなり。

周易正義彖伝

「彖曰」より「無咎」に至る。

正義に曰く、「復亨」とは、陽復れば則ち亨るを以て、故に亨を復に連ねてこれを釈するなり。「剛反り動きて以て順に行ふ」とは、既に上に「復亨」の義を釈し、また下に「出入疾無く朋来たりて咎無し」の理を釈す、故に「是を以て出入疾無く朋来たりて咎無きなり」と云う。

正義に曰く、「陽気始めて剥尽く」とは、陽気剥尽の後に始まりて、陽気の来復する時に至るまで、凡そ七日を経るを謂う。『注』の意を観るに、陽気剥尽の後に従いて、反復に至るまで凡そ七日を経る。その『注』分明なり。褚氏・荘氏の並びに「五月に一陰生じ、十一月に一陽生ず、凡そ七月なり。而るに『七日』と云いて『月』と云わざるは、陽の長ずること速やかなるを須(もと)むるを見さんと欲し、故に月を変じて日と言う」と云うが如し。今輔嗣は「剥尽」より「来復」に至ると云う、是れ尽くるより来復に至るまで七日を経るなり。もし五月よりこれを言わば、何ぞ「始めて尽く」と云うを得んや。また臨卦も亦た是れ陽長にして八月と言い、今復卦も亦た是れ陽長なるに、何ぞ独り月を変じて七日と称せんや。『注』の意を観るに、必ず然らずと謂い、亦た『易緯』の六日七分の義を用い、鄭康成の説に同じ。ただ文において省略し、復た具(つぶさ)に言わざるのみ。『易緯稽覧図』を案ずるに云く、「卦気は中孚より起こる」と。故に離・坎・震・兌は各々その一方を主どり、その余の六十卦は、卦に六爻あり、爻別に一日を主どり、凡そ三百六十日を主どる。余の五日四分日の一有るは、毎日を八十分と分かち、五日を四百分と分かち、四分日の一はまた二十分と為り、是れ四百二十分なり。六十卦これを分かてば、六七四十二卦、別おのおの七分を得、是れ卦ごとに六日七分を得るなり。剥卦の陽気の尽くるは九月の末に在り、十月はまさに純坤用事す。坤卦に六日七分あり。坤卦の尽くれば、則ち復卦の陽来たる。是れ剥尽より陽気の来復に至るまで、坤の一卦六日七分を隔て、成数を挙げてこれを言う、故に輔嗣は「凡そ七日」と言うなり。「反復」とは、則ち出入の義なり。反とは入りて倒反することを謂い、復とは既に反りし後に復りて向上することを謂うなり。

正義に曰く、「その道を反復し、七日にして来復す。天行なり」とは、天行を以て「その道を反復し七日にして来復す」の義を釈す。反と復とがその道に合するを得るを言う。ただ七日にして来復す、久遠なるべからざるなり。此れは天の行う所なり。天の陽気絶滅せし後、七日を超えずして陽気復た生ず。此れ乃ち天の自然の理なり、故に「天行」と曰うなり。正義に曰く、「剛長ずるを以てす」とは、「往く攸有るに利し」の義を釈するなり。「復其れ天地の心を見るか」。

正義に曰く、「復其れ天地の心を見るか」とは、此れ復卦の義を賛明す。天地の万物を養うや、静を以て心と為し、為さずして物は自ら為し、生ぜずして物は自ら生じ、寂然として動かず、此れ天地の心なり。此の復卦の象は、「動」地中に息(や)み、雷地下に在りて息みて動かず、静寂の義は天地の心と相似たり。此の復の象を観れば、乃ち「天地の心を見る」なり。天地は主宰有るに非ず、何ぞ心有るを得んや。人事の心を以て、天地に託して以て法を示すのみ。

注の「復とは本に反るの謂いなり」より「具に存するを獲ざらん」に至るまで。

正義に曰く、「復とは本に反るの謂いなり」とは、前(さき)に本処を離れて去り、今更に本処に反る、是れ「本に反る」の謂いなり。「天地は本を以て心と為す」とは、「本」は静を謂うなり。天地寂然として動かざるは、是れ「本を以て心と為す」者なるを言う。凡そ動息(や)めば則ち静なり、静は動に対するものに非ず。天地の動は、静をその本と為し、動をその末と為す。静の時多く、動の時少なきを言うなり。もし暫時にして動き、止息すれば則ち静に帰す、是れ静は動に対せず、静の木たるや自然にして有り、動に対して静を生ずるに非ざるを言う、故に「静は動に対するものに非ず」と曰うなり。「語息めば則ち黙なり、黙は語に対するものに非ず」とは、語は則ち声の動、黙は則ち口の静にして、是れ語らざるの時、恒に常に黙するなり。語に対して黙有るに非ず、動静語黙を以て地別に体するが故に、「対せず」と云うなり。「天地は大にして万物を富有し、雷動き風行き運化万変す」と云うは、此れ天地の動を言うなり。「寂然として至無なるは是れその本なり」と言うは、凡そ二義あり。一には万物外に運動すといえども、天地は寂然としてその内に至るなり。外はその末、内はその本にして、天地無心なるを言うなり。二には雷動き風行き千化万変すといえども、もしその雷風止息し運化停住せし後は、亦た寂然として至無なるなり。「もしそれ有を以て心と為さば、則ち異類は具に存するを獲ざらん」とは、凡そ無を以て心と為せば、則ち物我ひとしく致り、親疎一等にして、則ち異類を害せず、彼此安寧を獲。もしそれ有を以て心と為さば、則ち我の自らする我は普く物に及ぶ能わず、物の自らする物は普く我に頼る能わず、物は則ち害を被る、故に「具に存するを獲ざる」なり。

周易正義大象伝

「象曰」より「后省方せず」に至る。

正義に曰く、「雷地中にあるは復なり」とは、雷は是れ動く物にして、復卦は動息を以て主と為す、故に「雷地中にあり」と曰う。「先王以て至日に関を閉ざす」とは、先王はこの復卦に象り、二至の日を以てその関を閉塞し、商旅をして道路に行かしめざるなり。「后省方せず」とは、方は事なり。后はその方事を省視せざるなり。地の雷を掩閉するを以て、故に関門掩閉して商旅行かず、君后は事において掩閉す、皆「動息」の義を取るなり。

注の「方は事なり」より「事復れば則ち無事なり」に至るまで。

正義に曰く、「方は事なり」とは、「方」が四方の境域なるを恐る、故に「方」を以て事と為すなり。至日は出行すべからざるのみならず、亦た事を省視すべからざるを言う。「冬至は陰の復、夏至は陽の復」とは、復は本に反るを謂い、静は動の本たり。冬至に一陽生ずるは、是れ陽動き用いて陰は静に復るなり。夏至に一陰生ずるは、是れ陰動き用いて陽は静に復るなり。「動復れば則ち静となり、行復れば則ち止まり、事復れば則ち無事となる」とは、動きて反復すれば則ち静に帰し、行きて反復すれば則ち止まるに帰し、事にして反復すれば則ち無事に帰するなり。

出典

易経 · #24 地雷復 → この日の黄暦 →