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今日の卦 2026年1月28日水曜日: #2 坤為地 (坤)

それぞれの暦日は一つの卦に決定論的に対応します——文王卦の順で64日を一巡する連続輪転によるものです。占わず、乱数もありません。

坤は元いに亨る。牝馬の貞に利ろし。君子往くところあれば、先んずれば迷い、後るれば主を得る。西南に朋を得、東北に朋を喪うに利ろし。貞に安んずれば吉なり。

現代解釈

坤為地は純陰至柔の象徴であり、大地の受容性と従順な育成力を示します。自ら先頭に立って自己主張するよりも、大勢に従い支える立場を守ることで大成に至る時です。

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プロンプトプレビュー
易経・四柱推命のリーディング依頼(eastalmanac.com より)。
Page: Daily hexagram 2026-01-28: #2 坤為地.
二層構造で解釈してください。1)理法の根拠:卦爻の変爻や干支五行の力点と注意すべき盲点。2)実践的アドバイス:問いに対する率直な結論、動詞から始まる2〜3の具体的な行動指針と内省の要点。決定論を排し、自省と意思決定の参考にしてください。出典・詳解:
https://eastalmanac.com/ja/daily-hexagram/2026-01-28/

八字命式

八字における純坤の象は、厚重な土気と内向的な受容のエネルギーに対応します。命式において土が重い場合や印星・比劫による基礎固めが求められる局面では、性急な拡張を避け、足場を固めることが推奨される伝統があります。地道に土壌を耕し内実を蓄えることが、将来の着実な発展につながります。

西洋占星術

西洋占星術の象意では、月や土星が示す受容性、防衛、長期的な基盤維持の配置と共鳴します。伝統的な占星解釈において、このような配置は自ら領土を広げる攻めの姿勢よりも、既存の守りを固める持久戦に適しているとされます。目先の変化に惑わされず足元を安定させることが、運気の転換を迎える最善策となります。

易の占い

上下ともに坤卦で構成される純陰の卦であり、「牝馬の貞」に象徴される従順と忍耐の徳を本分とします。易の伝統的解釈では、先んじて動けば迷いが生じやすく、先導者に従うことで道が開けると説かれます。前に出るより支え役に徹し、全体の調和を優先することが吉を呼びます。

仕事・キャリア

仕事面では、自らが主導権を握って旗振り役を務めるより、補佐役や実務の要として全体を支える役割が適しています。過度な自己顕示や功名争いは摩擦を生みやすいため、裏方としての誠実な遂行力で周囲の信頼を勝ち取ることが賢明です。着実に基盤を支える働きぶりが、結果として揺るぎない評価へと結びつきます。

金運

財運においては、投機的な冒険や短期的な利益追及を避け、堅実な保全と蓄財に徹することが基本となります。伝統的な見立てでは、志を同じくする仲間との協力や共同の基盤づくりに利があり、孤立した突撃は損失を招きやすいとされます。元本を守り着実に積み立てる姿勢が、長期的な経済的安定を築きます。

恋愛・対人

対人関係や恋愛においては、寛容な受容力と相手のペースに寄り添う忍耐強さが関係を深める鍵となります。自己の主張を押し通そうとすると心理的な反発を招きやすいため、柔軟に相手を受け止める姿勢が求められます。包容力をもって温かく見守ることが、お互いの信頼と絆を育みます。

健康

坤は五行の土に属し、伝統医学の観点では脾胃や消化器系、全身の滋養吸収と深く関わるとされています。無理な活動や過度な気疲れを避け、規則正しい生活習慣と温かい食事で内臓を労わることが勧められます。日々の丁寧な休養と体調管理が、自然な活力の回復を促します。

自己成長

自己修養においては「厚徳載物」の教えの通り、あらゆる出来事を受け容れ包み込む大きな器を培う好機です。目覚ましい成果を急いで証明しようとせず、地道に基本技芸や教養を深める忍耐が求められます。静かに培った徳と実力こそが、将来どんな重責にも耐えうる芯の強さとなります。

相性

相性面では、一方が方向性を示し、もう一方がそれを忠実に支えて具現化するような、明確な補完関係において最も調和します。双方が主導権を争うと卦の持つ従順の美徳が損なわれるため、互いの役割分担への敬意が欠かせません。支え合う役割に納得して協力し合える関係が、息の長いパートナーシップを築きます。

運の流れ

大運などの長期的な周期においてこの象が現れる時は、積極的な進出よりも実力を蓄える充電と基盤整備の時期に当たります。変動の激しい環境下では、信頼できる組織や指導者に歩調を合わせることでリスクを最小限に抑えられます。じっくりと足場を固めて時機の到来を待つことが賢明です。

年運

年運として坤を引いた場合、全体として派手な進展よりも平穏な維持と内実の充実がテーマとなります。前半期は過去の課題やルーティン作業の整理に注力し、後半に向けて着実に連携を広げていくのが自然な流れです。無理に流れを変えようとせず日常を守ることが、年末の安寧と実りをもたらします。

姓名判断

姓名判断において坤土の徳を備える文字は、誠実さ、包容力、人を支える温厚な人徳を育む象意を持ちます。角の立ちやすい運気を和らげ、周囲からの信望を集めやすい穏やかな気質を後押しするとされます。控えめながらも人望を集める人柄が、生涯の安定した歩みを支えます。

吉日選択

択日において坤の気運は、地鎮祭、長期契約の締結、基盤整備や収支の整理など、受容と固定化を促す行事に適しています。奇襲や急進的な立ち上げには不向きであり、関係者の合意形成を丁寧に行うことが前提とされます。手順を踏んで静かに整えることが、事態の円滑な定着を導きます。

風水

風水では西南方位や大地の安定したエネルギーを重視し、重厚感のある落ち着いた空間づくりが推奨されます。陶器や温かみのある色調を取り入れ、過度な動意を避けて安らぎを保つ配置が家運の安定に資すると解釈されます。住まいの基盤をどっしりと落ち着かせることが、家庭内の調和と平穏をもたらします。

参考資料

原文

彖伝

至れるかな坤元、万物資りて生ず、すなわち順にして天を承く。坤の厚くして物を載するは、徳無疆に合す。含弘光大にして、品物ことごとく亨る。牝馬は地の類にして、地を行くこと無疆、柔順利貞なり。君子の行うところ、先んずれば迷いて道を失い、後るれば順にして常を得る。西南に朋を得るは、すなわち類とともに行き、東北に朋を喪うは、すなわち終わりに慶びあり。安貞の吉は、地の無疆なるに応ず。

大象伝

地勢は坤なり。君子もって徳を厚くし物を載す。

文言伝

坤は至りて柔にして動くや剛、至りて静にして徳は方なり。後れて主を得て常あり、万物を含みて化光なり。坤道はそれ順なるか。天を承けて時に行わる。善を積むの家には必ず余慶あり、不善を積むの家には必ず余殃あり。臣にしてその君を弑し、子にしてその父を弑するは、一朝一夕の故にあらず、その由来するところ漸なり。これを弁ずるに早く弁ぜざるによる。易に「霜を履みて堅氷至る」と曰うは、けだし順を言うなり。

直はその正しきなり、方はその義なるなり。君子は敬もって内を直し、義もって外を方にし、敬義立ちて徳孤ならず。「直方大にして習わずして利ろしからざるなし」とは、すなわちその行うところを疑わざるなり。陰に美ありといえどもこれを含む。もって王事に従い、あえて成すことなし。地道なり、妻道なり、臣道なり。地道は成ることなくして、代わりて終りあるなり。天地変化して草木蕃茂し、天地閉じて賢人隠る。易に「嚢を括れば咎もなく誉もなし」と曰うは、けだし謹むを言うなり。君子は黄中理に通じ、正位体におり、美その中にありて四肢に暢び、事業に発す。美の至りなり。

陰、陽に疑わしければ必ず戦う。その陽なきを嫌うがためなり、故に竜と称す。なおいまだその類を離れざるなり、故に血と称す。それ玄黄なる者は天地の雑わるなり。天は玄にして地は黄なり。

古典注釈

周易本義卦辞

牝は頻忍の反、喪は去声。

陰の数なり。坤とは順なり、陰の性なり。注の中のものは三画の卦の名、経の中のものは六画の卦の名なり。陰の形を成すや地より大なるはなし。この卦の三画は皆偶なり、ゆえに坤と名づけて地に象る。これを重ねてまた坤を得れば、則ちこれ陰の純にして順の至りなり。ゆえにその名と象とは皆易(かわ)らざるなり。牝馬は順にして健行する者、陽先んじ陰後る。陽は義を主り、陰は利を主る。西南は陰の方、東北は陽の方なり。安順の行いなり。貞は健の守りなり。この卦に遇う者は、その占は大いに亨りて、順健をもって正となすに利ろし。もし往く所あれば先んずれば迷い後るれば得て、利を主とす。西南に往けば則ち朋を得、東北に往けば則ち朋を喪う。大抵よく正に安んずれば則ち吉なり。

周易本義彖伝

これは地道をもって坤の義を明らかにし、首(はじめ)に元を言うなり。至は極なり、「大」に比すれば義やや緩なり。始とは気の始め、生とは形の始めなり。天の施しを順承するは地道なり。疆は居良の反、下も同じ。

亨を言うなり。徳は無疆に合すとは、乾に配するを謂うなり。利貞を言うなり。馬は乾の象にして地類となす者は、牝は陰物にして馬はまた地を行くの物なればなり。地を行くこと無疆なれば則ち順にして健なり。柔順利貞は坤の徳なり。君子往くところありとは、人の行うところ坤の徳のごとくするなり。行うところかくのごとければ、則ちその占は下文に云うがごときなり。陽は大にして陰は小なり。陽は陰を兼ぬるを得、陰は陽を兼ぬるを得ず。ゆえに坤の徳は常に乾の半ばを減ずるなり。東北には朋を喪うといえども、然れども西南に反れば則ち終には慶びあり。安くしてかつ貞なるは地徳なり。

周易本義大象伝

地は坤の象にしてまた一なるのみ。ゆえに重なると言わずしてその勢の順を言う。則ちその高下の相因ることの無窮にして、至順極厚にして載せざる所なきを見るなり。

周易本義文言伝

剛方とは牝馬の貞を釈くなり。方とは物を生ずること常あるを謂う。程伝に曰く、主の下にまさに利の字あるべし。また亨の義を明らかにす。また天を順承するの義を明らかにす。

これ以上は彖伝の意を申(の)ぶ。

善を積むの家には必ず余慶あり、不善を積むの家には必ず余殃あり。臣にしてその君を弑し、子にしてその父を弑するは、一朝一夕の故にあらず。その由りて来たる所は漸(ぜん)なり。これを弁ずるに早く弁ぜざるによる。易に曰く「霜を履みて堅氷至る」とは、蓋し順を言うなり。古字の順と慎とは通用す。按ずるにここは慎と作(な)すべし、まさにこれを微において弁ずべきを言うなり。

直はその正なるなり、方はその義なるなり。君子は敬をもって内を直くし、義をもって外を方にす。敬義立ちて徳は孤ならず。直方大にして習わざるも利ろしからざるなしとは、則ちその行う所を疑わざればなり。これは学をもってこれを言うなり。正とは本体を謂い、義とは裁制を謂う。敬は則ち本体の守りなり。内を方にすとは程伝に備われり。大と言わざるなり。疑うがゆえに習いて後に利ろし、疑わざれば則ち何ぞ習うに仮らんや。

伝に曰く、直はその正を言い、方はその義を言う。君子は敬を主として以てその内を守り、義を守りて以てその外を方にす。敬立ちて内は義形(あらわ)れ、外は方にして義外に形る。外に在るにあらざるなり。敬義すでに立ちてその徳盛んなり。大を期せずして大なり。徳は孤ならず。用いて周からざる所なく、施して利ろしからざる所なし。誰か疑いをなさんや。

陰は美ありといえどもこれを含みて以て王事に従い、あえて成すことなきなり。地道なり、妻道なり、臣道なり。地道は成るなくして代わりて終りあるなり。

天地変化して草木蕃(しげ)り、天地閉じて賢人隠る。易に曰く「囊を括れば咎もなく誉もなし」とは、蓋し謹むを言うなり。

君子は黄中通理す。黄中は中徳の内に在るを言い、黄の字の義を釈くなり。正位にして体に居る。尊位に在りといえども下体に居る、裳の字の義を釈くなり。美はその中にありて四肢に暢(の)び事業に発す、美の至りなり。美はその中にありとは重ねて黄中を釈き、四肢に暢ぶとは重ねて体に居るを釈くなり。

陰陽を疑えば必ず戦う。その陽なきを嫌うがためなり。ゆえに竜と称す。なおいまだその類を離れざるなり、ゆえに血と称す。夫れ黄とは天地の雑(まじ)りなり、天玄にして地黄なり。為は于偽の反、離は力智の反、夫は音扶。

疑とは均敵にして小大の差なきを謂うなり。坤は陽なしといえども、然れども陽は未だ嘗てなきにあらざるなり。血は陰の属なり。気は陽にして血は陰なり。黄は天地の正色なり、陰陽ともに傷つくを言うなり。

これ以上は象伝の意を申ぶ。

伊川易伝卦辞

坤は乾の対なり。四徳同じくして貞の体は則ち異なれり。乾は剛固をもって貞となし、坤は則ち柔順にして貞なり。牝馬は柔順にして健行す、ゆえにその象を取りて「牝馬の貞」と曰う。君子の行う所は柔順にして利かつ貞なれば、坤徳に合するなり。陰は陽に従う者なり。唱を待ちて和す。陰にして陽に先んずれば則ち迷錯となり、後に居りてすなわちその常を得るなり。利を主とすとは、万物を利するは坤に主とす。生成は皆地の功なり。臣道もまた然り。君令して臣行い、事に労する者は臣の職なり。

西南は陰方、東北は陽方なり。陰は必ず陽に従い、その朋類を離喪してすなわち能く化育の功を成し、安貞の吉あり。その常を得れば則ち安んじ、常に安んずれば則ち貞なり。ここを以て吉なり。

伊川易伝彖伝

無疆なり。生を資(と)るの道は大なりと謂うべし。乾はすでに大と称す、ゆえに坤は至と称す。至の義はやや緩にして、大の盛んなるに若(し)かざるなり。聖人の尊卑の弁におけるや、謹厳なることかくのごとし。万物は乾を資りて以て始まり、坤を資りて以て生ず。父母の道なり。天の施しを順承して以てその功を成す。坤の厚徳は万物を持ち載せて、乾の無疆に合するなり。

含・光・大の四者をもって坤道を形容するは、なお乾の剛健中正純粋のごときなり。含は包容なり、寛裕なり。光は昭明なり。大は博厚なり。この四者あり、ゆえによく天を承くるの功を成し、品物みな亨通を得るなり。牝馬を取りて象となす者は、その柔順にして健行し、地の類なるを以てなり。地を行くこと無疆とは健を謂うなり。乾は健にして坤は順なり、坤もまた健なるか。曰く、健にあらざれば何を以てか乾に配せんや。いまだ乾行きて坤止まることあるにあらざるなり。その動くや剛なれども、その柔たるを害せざるなり。柔順利貞はすなわち坤徳なり。君子の行う所なり。君子の道は坤徳に合するなり。

乾の用は陽のなすところなり。坤の用は陰のなすところなり。形にして上なるを天地の道といい、形にして下なるを陰陽の功という。先んずれば迷い後るれば得るとは、以下は陰道を言うなり。先に唱ふれば則ち迷いて陰道を失い、後に和すれば則ち順にしてその常理を得る。西南は陰方、その類に従いて朋を得るなり。東北は陽方、その類を離れて朋を喪うなり。その類を離れて陽に従えば、則ち能く生物の功を成し、終には吉慶あるなり。類と共に行く者は本なり。陽に従う者は用なり。陰の体は柔躁なり、ゆえに陽に従えば則ち能く安貞にして吉なり、地道の無疆に応ずるなり。陰にして安貞ならざれば、あに能く地道に応ぜんや。彖に三つの無疆あり、蓋し同じからざるなり。「徳合無疆」は天の已(や)まざるなり。「応地無疆」は地の窮まりなきなり。「行地無疆」は馬の健行なり。

伊川易伝大象伝

坤道の大いなるはなお乾のごとし。聖人にあらざれば誰かよくこれを体せん。地は厚くしてその勢は順いに傾く、ゆえにその順厚の象を取りて「地勢坤」と云うなり。君子は坤厚の象を観て、深厚の徳をもって庶物を容載す。

伊川易伝文言伝

行なり。坤道は至柔にしてその動くや剛なり。坤体は至静にしてその徳は方なり。動くこと剛なるがゆえに乾に応じて違わず、徳の方なるがゆえに物を生ずること常あり。陰の道は唱えずして和す、ゆえに後に居るを得となし、利を主として万物を成すは坤の常なり。万類を含容し、その功化は光大なり。主の字の下に利の字を脱す。坤道はそれ順なるか。天を承けて時行す、天の施しを承けて行い時に違わざるは、坤道の順を賛(たた)うるなり。

善を積むの家には必ず余慶あり、不善を積むの家には必ず余殃あり。臣にしてその君を弑し、子にしてその父を弑するは、一朝一夕の故にあらず。その由りて来たる所は漸(ぜん)なり。これを弁ずるに早く弁ぜざるによる。易に曰く「霜を履みて堅氷至る」とは、蓋し順を言うなり。

天下の事は積むによりて成らざるはなし。家の積む所の者善なれば、則ち福慶は子孫に及び、積む所不善なれば、則ち災殃は後世に流る。その大なるは弑逆の禍に至るまで、皆積累によりて至るものにして、朝夕のよく成す所にあらざるなり。明者は則ち漸の長ずべからざるを知り、小積の積もりて大となるを知る。これを早く弁じて順長せしめず、ゆえに天下の悪も成る由なきなり。すなわち霜氷の戒めを知るなり。霜よりして氷に至り、小悪よりして大に至るは、皆事勢の順長するなり。

直はその正なるなり、方はその義なるなり。君子は敬をもって内を直くし、義をもって外を方にす。敬義立ちて徳は孤ならず。直方大にして習わざるも利ろしからざるなしとは、則ちその行う所を疑わざればなり。直はその正を言い、方はその義を言う。君子は敬を主として以てその内を直くし、義を守りて以てその外を方にす。敬立ちて内直く、義形(あらわ)れて外方なり。義の外に形るるは、外に在るにあらざるなり。敬義すでに立ちてその徳盛んなり。大を期せずして大なり。徳は孤ならず。用いて周からざる所なく、施して利ろしからざる所なし。誰か疑いをなさんや。

陰は美ありといえどもこれを含みて以て王事に従い、あえて成すことなきなり。地道なり、妻道なり、臣道なり。地道は成るなくして代わりて終りあるなり。下たるの道はその功に居らず。その章美を含晦して以て王事に従い、上に代わりて以てその事を終え、あえてその成功を有(たも)たざるなり。猶お地道が天に代わりて物を終え、成功は則ち天に主とするがごとし。妻道もまた然り。天地変化して草木蕃り、天地閉じて賢人隠る。易に曰く「囊を括れば咎もなく誉もなし」とは、蓋し謹むを言うなり。

四は上に居りて君に近きも相得るの義なし。ゆえに隔絶の象となす。天地交感すれば則ち万物変化して草木蕃盛し、君臣相際(まじ)わりて道亨る。天地閉隔すれば則ち万物遂げず、君臣の道絶えて賢者は隠遁す。四は閉隔の時にあたり、囊を括りて晦蔵すれば、則ち令誉なしといえども咎なきを得べし。まさに謹みて自ら守るべきを言うなり。君子は黄中通理す。正位にして体に居る。美はその中にありて四肢に暢び、事業に発す、美の至りなり。

黄中とは文の中央に居るなり。君子は文の中にして理に達す。正位に居りて下たるの体を失わず。五は尊位なれども、坤においては則ちただ中正の義を取る。美は中に積もりて四体に通暢し、事業に見(あら)わる、徳美の至盛なるなり。

陰陽を疑えば必ず戦う。その陽なきを嫌うがためなり、ゆえに竜と称す。なお未だその類を離れざるなり、ゆえに血と称す。夫れ黄とは天地の雑りなり、天玄にして地黄なり。陽は大にして陰は小なり。陰は必ず陽に従う。陰すでに盛極まりて陽と偕(とも)にす、これ陽を疑うなり。相従わざれば則ち必ず戦う。卦は純陰なりといえども、陽なきを疑わんことを恐る。ゆえに竜と称して、その陽と戦うを見るなり。「野においてす」とは、進みて已まざれば外に至るなり。盛極まりて進みて已まざれば則ち戦う。盛極まるといえども陰類を離れず、陽と争えばその傷つくや知るべし。ゆえに血と称す。陰すでに盛極まりて陽と争うに至れば、陽といえども傷なきを得ず。ゆえにその血玄黄なり。玄黄は天地の色、皆傷つくを謂うなり。

周易注卦辞

坤の貞の利ろしき所は、牝馬において利ろしきなり。馬は下に在りて行く者なり、しかもまた牝たり、順の至りなり。至順にして後にすなわち「亨る」、ゆえにただ「牝馬の貞」に利ろしきなり。西南は養を致すの地、坤と同じき道なる者なり。ゆえに「朋を得る」と曰う。東北は西南に反する者なり、ゆえに「朋を喪う」と曰う。陰の物たるや、必ずその党を離れ、反類に之(ゆ)きて、しかる後に安貞の吉を獲る。

周易注彖伝

地の「無疆」を得る所以の者は、卑順をもってこれを行うがゆえなり。乾は竜をもって天を禦(ぎょ)し、坤は馬をもって地を行く。地とは形の名のなり。「坤」とは地を用いる者なり。夫れ雄を用うれば必ず争い、二主あれば必ず危うし。地の形ありて剛健と耦(ぐう)をなし、以て永く無疆を保つ。これを用うる者、また至順ならずや。もし夫れこれを行うに「牝馬」をもってせず、これを利するに「永貞」をもってせず、方にしてまた剛、柔にしてまた円なれば、安きを求むるも難し。

周易注大象伝

地の形は順ならざるも、その勢は順なり。

周易注文言伝

動きて方直なれば邪をなさざるなり。柔にしてまた円なれば、消の道なり。その徳は至静、徳は必ず方なり。

周易正義卦辞

「坤:元亨、牝馬之貞に利ろし」。

正義に曰く、この一節は文王が坤卦の下において坤徳を陳ぶるの辞なり。ただ乾・坤は体を合わせるの物、ゆえに乾の後に坤を次にす。地たるの体はまた能く万物を始生して各々亨通を得るを言う。ゆえに「元亨」は乾と同じきなり。「利牝馬之貞」とは、これ乾と異なる。乾の貞とする所は万事に利ろしきを貞となし、ここはただ「利牝馬之貞」と云う。坤は陰道なれば、まさに柔順をもって貞正となすべし。柔順の象を借りて以て柔順の徳を明らむるなり。牝は牡に対して柔となり、馬は竜に対して順となる。またこの柔順を借りて以て柔道を明らむ。ゆえに「利牝馬之貞」と云う。「牝馬」は外物の自然の象にして、これもまた聖人が「坤元亨、利牝馬之貞」の自然の徳によりて以て教えを垂るるなり。牛といわずして馬という者は、牛は柔順なりといえども能く地を行くこと無疆ならず、坤の広く生ずるの徳を見(あらわ)すべからず。馬は竜に比すれば劣るといえるも、能く広遠にして、地の広く育むに象る。

注「至順にして後に乃ち亨る」より「唯だ牝馬の貞に利ろし」に至る。

正義に曰く、「至順にして後に乃ち亨る、故に唯だ牝馬の貞に利ろし」とは、案ずるに牝馬はこれ至順なり。「牝馬」は「元亨」の下、「貞」の上に在り、まさに至順にして後に乃ち貞と云うべし。今「至順にして後に乃ち亨る」と云いて上文を倒(さかしま)に取る者は、輔嗣の意は下句にすでに「牝馬の貞」と云えば、この「貞」の文を避け、ゆえに「乃ち亨る」と云う。ただ亨と貞とは相い将(ひき)いるの物、ゆえに至順の「貞」と云うは、またこれ至順の「亨」なり。この坤徳は牝馬の至順をもって乃ち貞を得るなり。下文にまた「東北に朋を喪う」と云い、陰を去りて陽に就きて乃ち貞吉を得る。上下の義反する者は、ただ易は万象を含み、一屈一伸す。この句は乾と相対し、純剛をもって乾に敵すべからず、ゆえに「牝馬に利ろし」。下句は凡そ交接する所を論じ、純陰なるべからず、当に剛柔交錯すべし、ゆえに「喪朋吉」とするなり。

「君子有攸往」より「安貞吉」に至る。

正義に曰く、「君子有攸往」とは、その柔順利貞なるを以て、ゆえに君子は往くところあるに利ろし。「先迷後得主利」とは、その至柔なるを以て、まさに唱を待ちて後に和すべし。凡そ為す所あるとき、もし物の先に在れば即ち迷惑し、もし物の後に在れば即ち主利を得る。陰は先んじて唱うべからざること、猶お臣は君に先んずべからず、卑は尊に先んずべからざるがごときが故なり。「西南得朋」とは、これ象を借りて人事を示す。西南は坤位にしてこれ陰なり。今、陰をもって陰に詣(いた)れば乃ち朋を得るも、倶にこれ陰類にして吉を獲ざるなり。猶お人すでに陰柔の行いを懐き、また陰柔の方に向かうがごとく、これ純陰柔弱にしてゆえに吉にあらざるなり。「東北喪朋、安貞吉」とは、西南すでに陰となれば、東北は西南に反して即ち陽となる。柔順の道をもって往きて陽に詣るは、これ陰朋を喪失するなり。ゆえに安静貞正の吉を得る。陰にして陽を兼ね有するを以ての故なり。もし人事を以てこれを言わば、人臣のその党を離れて君の朝に入るが象、女子のその家を離れて夫の室に入るが象なり。荘氏云う、「先迷後得主利とは唯だ臣の君に事(つか)うるを拠るなり。得朋・喪朋とは唯だ婦の夫に適(ゆ)くを拠るなり」と。その見は褊狭にして、復た弘通の道にあらず。

注「西南致養之地」より「後獲安貞吉」に至る。

正義に曰く、坤の位は西南に居る。『説卦』に云う、「坤とは地なり、万物皆養を致す」と。坤はすでに物を養う、もし西南に向かえば「坤と同道」なり。「陰之為物、必離其党、之於反類、而後獲安貞吉」とは、二女同居すればその志同じからず、必ず陽に之くがごとく、これ反類に之きて乃ち吉を得るなり。凡そ朋と言う者は、唯だ人がその党たるのみならず、性行同じきもまたその党となす。仮令人がこれ陰柔にして剛正に之くも、またこれその党を離るるなり。

周易正義彖伝

「《彖》に曰く」より「行合無疆」に至る。

正義に曰く、「至哉坤元」より「徳合無疆」に至るこの五句は、総じて坤の義および二徳の首を明らかにするなり。ただ「元」は坤徳の首なり、ゆえに連ねてこれを言う。猶お乾の「元」徳が乾と相通じて文を共にすがごときなり。「至哉坤元」とは、坤徳を賛美するなり、ゆえに「至なるかな」と云う。「至」とは至極を謂うなり、地はよく生養すること至極にして天と同じきを言う。ただ天もまた至極にして地を包籠し、ただに至極なるのみならず、また地よりも大なり。ゆえに乾は「大なるかな」と言い、坤は「至なるかな」と言う。「万物資生」とは、万物地を資(と)りて生ずるを言う。初めにその気を受くるをこれ始と謂い、形を成すをこれ生と謂う。乾は気の初めに本づく、ゆえに「資始」と云い、坤は成形に拠る、ゆえに「資生」と云う。「乃順承天」とは、乾はこれ剛健にして能く天を統領し、坤はこれ陰柔にして和順をもって天を承平す。「坤厚載物、徳合無疆」とは、その広厚なるを以てゆえに能く物を載せ、この生長の徳ありて無疆に合会す。凡そ「無疆」と言う者はその二義あり、一つには広く周(あまね)く無疆、二つには長久無疆なり。これより已上は「坤元」の気を論ずるなり。「含弘光大、品物咸亨」とは、包含して以て厚く、光著盛大なり、ゆえに品類の物みな亨通を得る。ただ坤を元に比すれば即ち大の名を得ず、もし衆物に比すればそれ実に大なり。ゆえに「含弘光大」と言う者なり。この二句は「亨」を釈くなり。「牝馬地類、行地無疆」とは、その柔順なるを以てゆえに「地類」と云い、柔順をもって体となし終に禍患なし、ゆえに「行地無疆」にして復た窮まり已まざるなり。この二句は「利貞」を釈くなり。ゆえに上文に「利牝馬之貞」と云うはこれなり。

「柔順利貞」より「応地無疆」に至る。

正義に曰く、「柔順利貞、君子攸行」とは、重ねて「利貞」の義を釈く、これ君子の行う所にして、兼ねて前文の「君子有攸往」を釈くなり。「先迷失道」とは、陰にしてこの先に在ればその陰たるの道を失うを以てなり。「後順得常」とは、陰にして物の後に在れば陽唱えて陰和し、人「主利」を得るを以て、これ「後順得常」なり。「西南得朋、乃與類行」とは、陰をもって坤位に造(いた)れば、これ乃ち類とともに倶に行くなり。「東北喪朋、乃終有慶」とは、陰をもって陽に詣れば、初めは群を離るるといえるも乃ち終久には慶善あるなり。「安貞之吉、応地無疆」とは、安は安静を謂い、貞は貞正を謂う。地体は安静にして貞正なり。人もし静を得て能く正なれば、即ちその吉を得て地の無疆に応合す、これ慶善の事なり。

注「行之不以牝馬」より「求安難矣」に至る。

正義に曰く、「行之不以牝馬」、牝馬は柔順を謂うなり。「利之不以永貞」、永貞は貞固剛正を謂うなり。坤はすでに至柔順にして、これを利するに即ち剛正を兼ねざるを言う。「方にして又た剛」とは、体すでに方正にして性また剛強なれば、即ち太(はなは)だ剛なり。ゆえに「牝馬」を須(もち)うるなり。「柔にして又た円」とは、性すでに柔順にして体また円曲なれば、太だ柔なるを謂うなり、ゆえに「永貞」を須うるなり。もしその坤に牝馬なく、また永貞なければ、安きを求むるも難し。「永貞」と云うは、下の「用六」の爻辞なり。「東北喪朋」、陰を去りて陽に就くは、これ永貞を利するなり。

周易正義大象伝

正義に曰く、地の勢は方直にして、これ順ならざるなり。その勢の天を承くるは、これその順なるなり。正義に曰く、君子はこの地の厚徳を用いて万物を容載す。「君子」と言う者は、また公卿諸侯の等をも包む。ただ「厚徳載物」は分の多少に随い、至聖の物を載するの極みのごときにあらざるなり。

周易正義文言伝

正義に曰く、この一節は第一節にして、坤の徳を明らかにするなり。「積善之家」以下よりはこれ第二節にして、分かちて六爻の義を釈くなり。「坤至柔而動也剛」とは、六爻皆陰にしてこれ至柔なり。体は至柔なりといえども運動するや剛なり。柔にして積漸し、乃ち堅剛に至るは、則ち上に云う「履霜堅氷」これなり。また地は能く物を生じ、初めは柔弱といえども後に堅剛に至りて成就す。「至静而徳方」とは、地体は動かざるがこれ「至静」なり。物を生ずること邪ならざるは、これ徳の能く方正なるなり。

正義に曰く、「後得主而有常」とは、陰は卑退を主とし、もし事の後に在りて物の先とならざれば即ち「主を得る」なり。これ陰の恒理、ゆえに「常あり」と云う。「含万物而化光」とは、自ら『彖』辞の含弘光大を明らかにし、万物を含養して徳化光大なるを言うなり。「坤道其順乎、承天而時行」とは、坤道は柔順にして天を承奉し、時を量りて行うを言えば、即ちあえて物の先とならず、常に時を相(うかが)いて動くなり。「積善之家」より「蓋言順也」に至る。

正義に曰く、この一節は初六の爻辞を明らかにするなり。「積善之家、必有余慶、積不善之家、必有余殃」とは、初六のその悪に漸あるを明らかにせんと欲し、ゆえに先ずその行う所の善悪の事は久しくして積漸するによるを明らかにし、ゆえに後の吉凶を致す。「其所由來者漸矣」とは、君を弑し父を弑するは一朝一夕に率爾として起こるにあらず、その禍患の由りて来る所は積漸すること久遠なるを言う。「由弁之不早弁」とは、臣子の久しく禍心を包(いだ)く所以は、君父の弁明せんと欲する事において早く分別せざるによるが故なり。これ君父を戒めて臣子の悪を防がしむるなり。「蓋言順」とは、この「履霜堅氷至」は蓋し陰悪の道に順習し微を積みてもって已まざれば乃ちこの弑害を致すを言うなり。「蓋」と称するはこれ疑いの辞なり。凡そ万事の起こるは皆小より大に至り、微より著に至る。ゆえに上文には善悪並び言うに、今独り君を弑し父を弑するに漸ありと言う者は、陰は柔順を主とし、柔を積みて已まざれば乃ち終に禍乱に至るを以ての故に、特に坤の初六においてこれを言う。その柔弱の初めを防がんことを戒めんと欲し、また陰は弑害をなすを以て、ゆえにここに寄せて以て義を明らむるなり。

「直其正也」より「所行也」に至る。

正義に曰く、この一節は六二の爻辞を釈くなり。「直其正」とは、経に直と称するはその正なるなり。「方其義」とは、経に方と称するはその義なるなり。義とは宜(ぎ)なり、事において宜しきを得る、ゆえに義と曰う。「君子敬以直内」とは、「直其正」を覆釈するなり。君子は敬を用いて以て内を直くす、内とは心を謂うなり、この恭敬を用いて以て内理を直くするを言う。「義以方外」とは、この義事を用いて以て外物を方正にす。君子は地の正直にして万物を生ずるを法(のっと)り、皆その宜しきを得て各々以て方正なるを言う。然らば即ち前に云う「直其正也、方其義也」にして、下に「義以方外」と云えば、即ちここはまさに「正以直内」と云うべし。改めて「敬以直内」と云う者は、正なれば則ち能く敬なるを見んと欲し、ゆえに「正」を変じて「敬」となすなり。「敬義立而徳不孤」とは、身に敬義ありて以て人に接すれば、則ち人もまた敬・義をもってこれに応ず、これ徳は孤ならざるなり。直なれば則ち邪ならず、正なれば則ち謙恭なり、義なれば則ち物と争うことなし、方なれば則ち凝重にして躁ならず。すでに「習わざるも利ろしからざるなし」なれば、則ち行う所は疑慮を須いず、ゆえに「その行う所を疑わざるなり」と曰う。

「陰雖有美」より「有終也」に至る。

正義に曰く、この一節は六三の爻辞を明らかにする。「陰雖有美、含之以従王事」とは、「含章可貞」の義を釈くなり。六三の陰は美道包含の徳ありといえども、苟も王事に従わばあえて主となりて先ずこれを成さざるを言う。「地道也、妻道也、臣道也」とは、坤道の卑に処し唱を待ちて乃ち和するを明らかにせんと欲す。ゆえにこの三事を歴言し、皆卑の尊に応じ、下の上に従うなるなり。「地道無成、而代有終」とは、その地道は卑柔にしてあえて先ず唱えて物を成すことなく、必ず陽の始めに先唱するを待ちて、しかる後に陽に代わりて終りあるなり。「天地変化」より「蓋言謹也」に至る。

正義に曰く、この一節は六四の爻辞を明らかにする。「天地変化」とは、二気交通して万物を生養し、ゆえに草木蕃滋するを謂う。「天地閉、賢人隠」とは、二気相交通せず、天地否閉して賢人潜隠するを謂う。天地通ずれば則ち草木蕃る、天地閉じれば草木蕃らざるを明らかにす。「天地閉、賢人隠」とは、天地通ずれば則ち賢人出づるを明らかにし、互いに相通ず。これすなわち「囊を括れば咎なし」にして、ゆえに賢人の隠るるは天地の閉ずるに属すなり。「蓋言謹也」とは、謹は謹慎を謂い、蓋し賢人君子はこの時にあたりてすべからく謹慎すべしというを言うなり。「君子」より「美之至也」に至る。

正義に曰く、この一節は六五の爻辞を明らかにするなり。「黄中通理」とは、黄をもって中央に居り四方の色を兼ね、臣職を奉承するは、これ物理に通暁するなり。「正位居体」とは、中に居りて正を得るは正位なり。上体の中に処するは居体なり。黄中通理とは、これ「美その中にあり」なり。美の中にあることあれば必ず外に通暢す、ゆえに「四肢に暢ぶ」と云う。四肢は人の手足のごとく、四方の物務に比すなり。内外ともに善にして、能く事業に宣発す。営む所を事と謂い、事成るを業と謂う。美これに過ぐるものはなし、ゆえに「美の至りなり」と云う。

正義に曰く、この一節は上六の爻辞を明らかにする。「陰疑於陽、必戦」とは、陰盛んにして陽に疑わるる所となり、陽乃ち発動してこの陰を除去せんと欲す。陰すでに強盛にして退避するを肯んぜず、ゆえに「必ず戦う」なり。正義に曰く、上六は陰盛んにして陽に似たり。純陰にして陽にあらざるを嫌うがため、ゆえに「竜」と称して以てこれを明らむるなり。正義に曰く、上六は陰盛んにして陽に似たりといえども、然れどもなお未だその陽類を離るる能わず、ゆえに陽のために傷つけられて見成せらるるを言うなり。

正義に曰く、「その血玄黄」の義を釈くなり。荘氏云う、「上六の爻は天地の雑気を兼ね有す。ゆえに上六傷つけられ、『その血玄黄』なり。天色は玄、地色は黄、ゆえに血に天地の色あり」と。今、輔嗣の注に「なお陽と戦いて相傷つく」と云うは、これ陰陽ともに傷つくを言うなり。恐らくは荘氏の言は王の本意にあらざらん、今取らざる所なり。

出典

易経 · #2 坤為地 → この日の黄暦 →